『働きたいのに働けない 若年無業のジレンマ』と自分の生活
フリーターになって半年以上が過ぎた今、自分の生活を振り返ってみた。
以前の休日
会社員だったときは、月8~9日くらいの休みがあった。(サービス業なので、カレンダー通りの会社からするとちょっと少なめ。ちなみにGWや盆休みはない。年末年始はやや長期休みあり。)
当時の休みは、労働とは無関係の1日。
掃除をしたり買い物に行ったり旅行をしたりして、楽しかったけど明日また仕事か~と毎回思っていた。
今は1日休むとなると、分かりやすくその分の日当がなくなる上、更にお金を使うことになるので、1日バイトをしないでどこかに行ったりすることに、この日当を捨てる価値があるのだろうかということを、すごく考えるようになった。
そもそも休みとは
まあ、そんなふうに考えて「ここに行きたい」と思ってどこかに出かけたりするのだけれど、そして以前、会社から定められた休日があったときは、そういう行為を「遊び」と言っていたけれど、今は「遊び」っていうのはなんだかしっくりこないなあと思っている。
今バイト代が発生しない時間に、いろいろな所に出かけたりすることは、「労働」ではないけど「遊び」でもなくて、未来の自分をつくっていく時間だなあと思っている。(まあ、「遊び」という言い方でもいいんだけど。)
時給は発生しないけれど、未来の自分への投資という感じ。
今の生活になって
好きなことをしたいと思って会社を辞めた現在、でも結局バイトをしないと生活ができないので、未だバイトをしているけれど、社員としての精神的負担がなくなったので、その点に関してはとても快適になった。その分自分が考えたいことだけをひたすら考えていられる。すごく楽しい。(いまだ、将来に全く関係ない労働に時間をとられてはいるけれど。)
そして一つ気づいたことがある。
私はずーーーーーっと長いあいだ、食事をしながら口の中を噛んでしまうという癖があった。10日に1回くらい。噛んだところが腫れるので、更に同じ場所を噛んで、よく口の中が血だらけになっていた。
噛み合わせのせいだと思っていたのだけど、ネットで調べたら一番の理由は意外にもストレスだとあった。
同じところを続けて噛むとほんとうに泣きたくなっていた。たぶん泣いたことある。
あんなに悩んでいたのに、今それが全くなくなったのだ!!!
ああ、やっぱりあれはストレスだったんだなあと思った。。。
ストレスがなくなって
今、ストレスが減った分、労働時間は単純に増えている。(収入が減ったので。)でもフレキシブルに動くためにそうして、半年以上が過ぎだ。
自分がやりたいと思っていたイベントの回数を増やせなかったけれど、全部やってみていろいろ分かったし、これからの目標ができた。
来年はバイトを辞めて家業に本腰を入れて生活基盤をつくろうという結論に達した。
そしてイベントに投資してイベントもたくさんやって完全なるフリーランスになりたいと思う。
(ここらへんのことは、改めて別に書きたいと思う。)
ここまで昨日の夜書いて、続きは明日書こうと思って寝たんだけど、今日A1さんのこの記事を読んでちょっと考えた。
新たに私も記事を書きたくなった。けど、言いたいことが被る部分があるのでこの記事の続きき書こうと思う。
『働きたいのに働けない 若年無業のジレンマ』を観て
私はこの番組を見て、意外にゲストみんなが「働けない人」に対して寛容だなあと思った。蛭子能収さんみたいに「働かざる者食うべからず」という人がもう1人くらいいるかと思った。
現実に存在する会社の中で起こっている出来事は、未だ何十年も変わっていないところが多いかもしれないけれど、現代社会に生きる人の意識は少しずつ変わってきていると思う。
友達のこと
私はフリーター期間も長く、いろんな仕事を転々としてきた。その中の一つの会社について書くと、当時ものすごいパワハラを受けていた。パワハラだけじゃなく、仕事内容の重責、サービス残業をしないと終わらない内容など、とにかく1から10までストレスだった。
でもそれを人に説明して共感してもらえる気も全然しなかったので(高確率で「どこも同じだよ」と言われると思って。)、家族以外にはあまりそういう話はしなかったと思う。家族がよく理解してくれたことが救いだったと思う。
その職場は当然人の入れ替わりが非常に激しかったし、心を病んだ人もいた。未だに病んでいる人もいる。
でも私はたぶん、なんだかんだでけっこうメンタルが強いほうだったんだと思う。
大勢の前で怒鳴られて叱責されても、(「いや、でも言ってることおかしくね?」)と思えたり、まあ言葉をそういうふうに使うことを私は暴力に等しいと思っているし、それなりのダメージはくらうんだけど、とりあえず寝ることで回復させてた。
直属の上司のことは心から呪っていたが、そんな奴のために負の気持ちを自分の中に持つことが損だと思ったので記憶からいちいち消去することにした。
友達は今でもそこで働いていて、ずっと辞めたいけれど、辞めることも大変だから辞められないと言っている。
これは、すごく、わかる。
できること、できないこと
「仕事なんて世の中にたくさんあるんだからさっさと辞めよう!」と言うのは簡単である。
でも実際行動に移せない人の理由は主に2つあると思う。(ニートの人も被るところはあると思う。)
・めんどう(職場に辞めると言う、就職先を探す、履歴書を書く、受ける、落ちた場合、再び探すという流れが大変)
・どこに行っても同じことを思うかもしれない(今以上の職場は見つからないかもしれない) (←ちなみに誰かに相談したら言われる言葉第一位だと思う。)
私も、やりたいことが無くて、でも今の仕事が嫌だなあと思っていた時は、上記ふたつのことをぐるぐる考えていた。
でもやりたいことができて、それからも時間はかかったけど、行動に移そうと思ったらもう上記のことで悩むことはなかった。
(ちなみに、3年くらい前から「もう人生で履歴書は書かないぞ」ということだけは思っていた。)
でもだから、私の生き方サイコー!!!っていうんでもない。(私にとって最高だと思っているけれど。)
自分が歩いてきた道
私が好きなことをして生きていきたいと思うのは、自分が普通の企業では働けないと思ったからだ。
(まあ、何らかの事情で再び普通の会社で働くしかないとなったら、再びたくさん失敗をしながら、再びそうとうなストレスを抱えると思うが、死んでもできないというほどではない。けどそんな時間が勿体無いからやりたくない。)
こう思えるようになったのにはものすごく時間がかかった。
こどもの頃から、10代20代になっても抱いていた気持ち
「なんでみんなができることが私にはできないんだろう」を
「私はできなくて当然だ!人よりいろんな面で劣っているのだ!でも、なるべく生きやすくなるためにちょっと克服しよう。そして違うところを伸ばしていこう」
と思えるようになった瞬間に全部考え方が変わったし、最終的に「好きなことをして生きていこう」につながっていった。
ただ、こう思えるまで自分と向き合ってきたことは、とても時間がかかる上に、ほんとうに辛いことでもあった。
いちばん、自分で自分がおかしいと思っていた感覚は、人との距離感だ。
私には多くの人は成長過程で自然に身につけていくであろう部分が大きく欠落していたと思う。
それを克服したくて人からの指摘をきちんと受け止めて自分を振り返ることはすごく辛かった。
悩みの種類は違うかもしれないけれど、働きたいのに働けないという人にも、辞めたいけど辞められないという人にも、向き合ったほうがいいのであろう自分はあるとおもう。たぶん。。。
でもそこに向き合わないのが甘い!ダメだ!みたいには、私は言えないなあと思う。
私がとても辛かったから。
自分にできること
以前、こんな私が傲慢にも、誰かを救いたいと思っていた。自分がたくさんの人に救われてきたから、自分にもできることがないかと思っていた。
でも今は、そんなおこがましいことをこんな自分がよく思っていたなあ・・・と思う。
でも、自分は音楽を通して出会った人、今やネットを通じて出会った人に影響を受けて自分の考え方がどんどん変わっていったし、成長したし救われたと思っていて、もしかして誰かが同じように思える小さなきっかけを作れたりする“かも”しれない・・・という気持ちで活動をしていきたいと思っている。
結局どうしたらいいのか
私は私の方法で自分の悩みを解決したけれど、この方法論が一番とも思えない。(しつこいけど、辛かったから。)
でも、やっぱりいろんな人に会ってよかったなあと思っている。番組の中でphaさんや古市さんも、周りに同じ意見の人しかいないとそれが全てに思えてしまうけれど、外に目を向ければ全然違う考え方や生き方の人がいる・・・という趣旨のことを言っていたけれど、ほんとうにそうだと思う。
自分が幸いだったのは、ミュージシャンやフリーランスの音響の人と過ごす時間が多かったことだと思う。そういう人たちに、自分のダメな部分をかなり指摘してもらった。(たぶん普通の会社にいたら言ってもらえなかったと思う。)
また、リアルで会えなくても、いろいろな人の本はかなり読んだし、こうやってブログを書くことで、今までの人生で会わなかったけどすごく共感できる人にも会えたし、更にリアルでも会えるようになった!
まあ、気長にやっていくしかないんじゃないかなあと思うのです。自分を、自分の現状を変えていくっていうことはやっぱり難しい。
でも悩んだことは、全部今の自分に生きているなあと思う。
あとは国がいろいろ変わってほしいと思う。それもすぐには無理なので、こっちも気長に準備をしていくしかないかなあと思う。
今でも毎日新しい出会いがあると思っているし、これからも自分は日々変わっていくんだろうなあと思う。
やっぱり人が好きなんだなあという話。
来年別のブログ、もしくはサイトを始めて、ここはただの雑記ブログにしようかなと思いました。いろいろ考えたんだけど、この雑多な趣味をマネタイズするためにどうのこうのとかやっぱり面倒すぎるなあと思いました。でも一つのテーマに特化したらできそう。
同級会に行ってきた
先日大学時代のサークル(軽音楽部)の同級会に行ってきました。メンバーは女性7名・男性6名の13名。女性は私以外の6名は全員既婚。男性は未婚が3名か。来れなかった男性2名も既婚なので、未婚率は4/15!おお、やっぱり低いな~。女性だけで言えば1/7。めちゃめちゃ低い!笑
そして、卒業後もバンドを続けていた人もいるけど、今はほぼみんな会社員!フリーランス率(私もフリーランスということにする!)3/15
在学中ってみんなコアな音楽を聴いて、演奏して、なんていうか、尖ったり偏ったり暗かったり(私)はみ出したりしていたけれど、みんなものすごくまっとうな人になっていた。そして5歳児と乳児もいたのだけれど、ものすごくかわいかった。13年ぶりに会う人もいたけれど、ものすごく楽しかった。
5年前の私だったら多分楽しめなかったんじゃないかなあと思っている。
当時はいちおう会社員だったけれど、結婚しなきゃとか、仕事をやっている自分に自信を持ちたいとか、とにかく、その当時の私が考えていた“まっとうなかっこ悪くない大人”にほど遠かった自分は、あまり過去の人に会いたくないと思っていた。
でも今、5年前の自分が描いていた理想とはだいぶ違う形だけれど、好きなことをやりたいと思っていて、何も持っていないけれど特に不安もないという自分は、人にコンプレックスを抱くことがほんとうに減ったなあと思う。
ただ純粋に再会が楽しかったなあ。。。
どうやって自分が変わったのか
今の自分のベースにあるのは、自分は何者でもないということなのだ。
「みんなできるのになんで私はできないんだろう」ということは多分生きてきた中で何千回も思ってきたことだけれど、今はそう思っていた当時の私が傲慢だったんだなあと思う。
できない自分を認めたくない、そんなはずじゃない、人並みにできるはずだ、と思っていたから。(これは時と場合と人によりますが、私の話です。)
人ができることができない最底辺の自分で上等と思えたら何も怖くないです。そりゃできないよ。最底辺だし。人並み以下で全然構わない。だってそういう人間は絶対存在するでしょう。全員平均なんてありえないし。
でも違う方向で自分にしかできないことを組み立ててみようと思えたら、いつか違う方向から誰かが見てくれるかもねと思って生きている。そう考えられるようになったら、全てが楽しいし、人をねたむとかそういうことがなくなった。(ムカつく人間はいる。)
クリエイターの友達
みんなほぼ会社員だったんだけど、フリーランスでクリエイターの友達がいた。会うの13年ぶり。その人生の変遷の中で努力してきたことにめちゃくちゃ刺激を受けた。やっぱりみんな私の100倍努力してんなーと思った。その上謙虚で、めちゃくちゃかっこよかった。なんかすげー年上に思えた。こんな人だったっけかと思った。みんなで飲んだりバンドやったりライブ見に行ったり、だけどそんな深い話したことなかったかもなあ。あんまり覚えてないけど、自分はバンドじゃなくて裏方の仕事もいいなあと思っているという言葉だけはよく覚えていた。
だけど私の活動を知ってくれていて感銘を受けたとか言ってくれた。マジか!うーん、私かなりハッタリかましてるかもなあと思った。だって、Aちゃんのほうが100倍すごいよと思った。でも嬉しかったし、いつか(つってもそんな遠い話じゃなく来年とか)一緒に仕事したいと思った。絶対しよう。私ももっと勉強したくなった。
なんかもっと早く会ってたらよかったなーと思ったけど、今の自分だからこそ、会うタイミングだったんだなあと思った。
全部に意味がある
私は20代から今に至るまで出会った人の中で、この人と一緒に仕事できたらなあって思う人がたくさんいて、今もどんどん増えて、そういうことができるのがイベントだからイベントをやりたいっていうのもある。フリーランスでいたいっていうのがある。自分で何かしたいなあと思う。
え、やっぱこれめちゃくちゃ楽しくないか?すげー楽しいはずだ。考えてるだけで楽しい。
今まで盛大にスベってきたこと、はてなで出会った人、音楽を通じて出会った人、その人たちがすすめていた場所に出かけたり本を読んだりしてさらにその先で出会った人、考え方、それが今生きている自分の腑に落ちる瞬間、そこから成長してどんどん新しいことを考えられる。半年前書いたことがめちゃくちゃ古いなあと思う。でもベースは変わってない。方向も変わってないと思ってる。(変わっても別にいいんだけど。)
今年残り1ヶ月でいろいろまとめたい。来年は本厄だけどすごく良い年になると思う。なんかここ数年毎年言ってる気がするけど、たしかに毎年楽しいし、楽しさの度合い上がってると思う。とにかくいろんな人に会えて楽しい。それっきりじゃなくて、ずっと付き合ってくんだろうなと思う人が増えてものすごく楽しい。
江之浦測候所へ行ってきました。
小田原駅から二つ目の根府川駅からシャトルバスで10分弱の山の上。
ここは、自分が人生で出会ったアートの中で、もっとも大きなスケールを感じた場所でした。
そして、私にとってはどんな論理的な言葉で諭されるよりも、自分の器の小ささを実感させられつつ、自然がもつ本来の力をゆっくり感じながら、乱れた心がリセットされるような場所でした。
杉本博司さんという、写真・彫刻・演劇・建築・造園、他にも多岐に渡る分野で活動されているアーティストが設立した小田原文化財団、ここが開設したのが、『江之浦測候所』です。
測候所という言葉は耳慣れないと思いましたが、本来、気象の観測などを行う地方機関のことです。
この『江之浦側候所』という名前は、おそらくそこから連想されているのだと思いますが、この場所は、太陽の運行を観測することで、1年という時間の経過を意識化できた古代人の感覚を再体験できるように構想されたそうです。
私は佐々木典士さんのこの記事を読んで、近いうちに是非行ってみたいと思い、東京に用事があった際に、小田原まで足をのばしてみることにしました。
minimalism.jp
敷地は11,500坪、近代以前の人口密度を体感するために、2時間最大50名に制限された完全予約・入替制になっています。
最寄駅は、小田原駅から2つめの根府川駅。たった2駅進んだだけで、小田原駅の賑わいからは遠く離れたような、静かな駅です。
ここからシャトルバスで10分弱、山道をのぼっていくような感じです。
中は、写真・動画撮影可でしたが、商業的利用不可ということで、ちょっとこちらのブログに貼るのはひかえておこうと思います。
そして、いつものように写真を交えながら説明していくのもなんだかなあというか、こういうブログを書いている自分もなんだかなあというか、自分の作為的なところや打算的なところや、ここに来てもできるだけ写真に残したいと思ってしまうところとか、そういったたぐいのいろいろな感情をすべて捨ててしまいたくなるというか、そんなことがもう、とても簡単にはできない自分の存在とかに、自分でほとほとがっかりするような、
だけど、そんな自分でも、ここに来て、この場所の自然と古代人が生きた過去と今が交差するような不思議な感覚に取り込まれると、たった今も感じていた負の感情がリセットされるような、ただ静かで穏やかな場所でした。
シャトルバスを降りて、受付のある建物に辿り着き、受付をするまでにも既に、細部まで計算しつくされたアートを感じます。
椅子もテーブルも階段もロッカーもトイレも。。。
受付を済ませて、11,500坪、順路のない敷地内を2時間自由に散策することができますが、まずはみんな、受付から一番近いここに向かうと思います。
"夏至光遥拝100メートルギャラリー"
海抜100メートル地点に100メートルのギャラリーが立つ。硝子窓は柱の支え無しに硝子板が37枚自立している。ギャラリー先端部の12メートルは海に向かって持ち出しとなって展望スペースが併設される。夏至の朝、海から昇る太陽光はこの空間を数分に渡って駆け抜ける。(入館時に貰うパンフレットより抜粋しました。)
受付を済ませて、おそらく殆どの人が最初に入るこの場所のコンセプト(上記)が、この『江之浦測侯所』の理念として、とても分かりやすいと思いました。
この敷地内には、夏至の日の出・春分と秋分の日の出・冬至の日の出が、その場所から見えるようにつくられた、非常に大きなスケールの建築物があります。
その瞬間に誰が見るのだっていう(その日には特別な催しなどがあるのかもしれませんが)、商業的コンセプトとはかけ離れたオブジェクト、
春夏秋冬や太陽信仰、太陽から計測していたであろう時間など、そういった古代の人間が感じていたであろう日常を、アートとして再現し、古代人の心を再体験できるような施設になっているのです。
この、"夏至光遥拝100メートルギャラリー"には、ガラス張りの長い通路の奥に海、長い壁に規則的に並ぶ7枚の大きなモノクロの、世界各地の海の写真、ただ水面だけが写る白黒の写真....
ここに足を踏み入れた瞬間に、この曲を聴きたいなと思ったんですよね。ポーランドのピアニスト、スワヴェク・ヤスクウケの『Sea』です。
曇り空と冷えた空気と海と、古代が再現された自然にこのアルバムがものすごくマッチして、2時間ずっと聴いていました。
同じ時間に散策していた人はたぶん20人くらい。山の斜面に沿って不思議な建築物が点在し、目の前には海が続く広大な敷地の中を歩いていたら、周囲に誰も見えないという瞬間も多くあり、自分一人がこの場所に取り残されたような、でも寂しくも不安でもないという不思議な気分に何度もなりました。
ここには順路や建築物の詳しい説明等の看板は無く、2時間自由に散策をすることができます。立ち入り禁止の場所には止め石(こぶし大の石に紐を結んだもの)が置いてあります。
私は最初、思ったままの方向に進んで大体一周したところで、入場時にもらったパンフレットを改めて読み返し、もう一度、今度は一つ一つの場所に立ち止まりながら、説明を読みながらもう一周しました。
ここには、この場所でつくられた建築物の他にも、ここまで運ばれてきた歴史的な石塔などのオブジェクトも随所に配置されています。
最初、何気なく回っていた時も、この敷地全体のアートが放つ空気に不思議な心地よさを感じていたのですが、その後説明を読みながら一つ一つの作品を見ていくと、太古の昔と現代が不思議に交差するような説明のできないこの空気は、緻密な計算によって表現されているのだと分かりました。
よく「自然のまま」という言葉を日常で使います。何も手を加えないとか、ありのままとか、そこには計算というものが介在しないというような意味で私は使っていました。
けれど、自然こそ、人間の力を超越した途方もない緻密なプログラムによってそこに存在し、人間はその一旦を、自らの知恵によって見える形に創造し、カスタマイズして自分たちの暮らしに取り込んでいます。
例えば、時間の概念とか、農耕とか、気候の変化を利用することとか、今ここに生きることの全てのベースは自然というプログラムの上に成り立っているわけです。
完全なる人工的建造物が再現しているものは自然で、自然こそ人工を遥かに超越した、人間が決してあらがえない緻密なプログラムであり、そこに間借りして生きながらえる自分が、長い歴史の点ですらないということを、そしてそれはべつに寂しくも怖くもなくただ当たり前の事実であることを、ただ淡々と感じました。
オフィシャルサイトに貼ってある杉本さんのインタビューの中で、こんな言葉が出てきます。(ちょっと要約しています。)
死に向かっていくっていうのは
消えていくんだけど何もない世界に消えていくんじゃない
生命力がストックされている場があってそこに帰っていくんじゃないか
このインタビューも、何度も観て今思いました。ここ、江之浦測候所は、死が怖くなくなる場所かもしれません。
私は時に、こうして旅行をしたり、音楽を聴きに行ったり、お芝居を見たり、アートに触れたり、誰かと話したりして、自分の人生を振り返ったり、「より良い生き方」みたいなことを日々考えているのだけれど、そしてそれがくだらないということではないのだけれど、そういった全てを超越した
人類が重ねてきて、これからも重ねていくであろう何百万年という歴史の間に人々が見てきたであろうものを感じた時に、自分がそのどこかに一瞬存在して消えていくことも、ただひたすらに自然の中の一瞬であることが、すとんと自分の中に入ってきたような感覚がありました。
いずれまた訪れたい場所です。
小淵沢で中華~道の駅こぶちざわの『山水樓 龍淵(さんすいろう りゅうえん)』~
北杜市はイタリアンのお店が多いと思うのですが、たまには中華が食べたい!という時は、道の駅こぶちざわの中にある『山水樓 龍淵(さんすいろう りゅうえん)』に来ます。
道の駅こぶちざわ
『道の駅こぶちざわ』は、いろいろな施設があって小淵沢インターのすぐそばにある、大変人気の道の駅です。
地元の野菜やお土産はもちろん、レストラン・パン屋・体験工房・宿泊施設もありますが、特に温泉「延命の湯」は、広くて綺麗で遠くからもたくさんの人が来ていますね。
『道の駅こぶちざわ』のtwitterアカウントは、毎日必ずおすすめの野菜を写真入りでつぶやいてくれています。
今日の小淵沢はいいお天気ですが冷え込んでいます☆直売所にはトマト、白菜、
— 道の駅 こぶちさわ (@michiKOBUCHI) 2017年11月15日
大根、かぶ、里芋、鬼くるみ、じゃがいも、ヤーコン、唐辛子、長葱、人参、
西洋ネギ、カリフラワー、ラディッシュ、キウイ、渋柿、甘柿、ゆず、
林檎(ふじ、シナノゴールド、王林)などが入荷中です♪ pic.twitter.com/sGi8J5snH1
山水樓 龍淵(さんすいろう りゅうえん)
このお店は、道の駅こぶちざわの中にあるスパティオ小淵沢という宿泊施設の5階にあります。(温泉「延命の湯」もこの建物内にあります。)
このお店は、日比谷で長い歴史を誇った 広東料理の名店「山水樓」で働いていた方がシェフをつとめているそうです!!先月、十五夜の日に友達と2人で行ったら、並んで座って月がよく見える席に案内してもらえました。
写真がイマイチですが、ほんとうに綺麗な月がよく見えました。十五夜の月を見ながら食事をするなんていうことは、多分人生で無かった気がしますね。月のパワーをすごく貰った気がします(*´∀`*)結構リーズナブルな中華です。メニューは1品だいたい1000円~1500円くらいです。そして女性二人で3品頼むとお腹いっぱいです。飲み物+野菜+メインで十分です。ついご飯ものか麺類を頼みたくなってしまいますが、2品食べ終えてまだいけそうだったら追加したほうがいいです。写真を撮り忘れていましたが、この他に『八ヶ岳ぎょうざ』も頼んでいたのでした。そういえば。よく食べた。。。とてもうつくしい月を見ながら、話もはずみました。
昼間だと今は紅葉した山々が見られることでしょう。そして最近また別の友達とやってきました!平日17~19時までは、プレモルの生が325円!!!この日はめずらしく運転ではなかったので、いただきました!蒸し鶏サラダのネギナッツドレッシング 792円手前が茸XO醤焼きほうとう 1142円 奥が鶏肉のピリパリ唐辛子1026円
この3品でお腹いっぱいすぎました。。。。中華はやはり、大人数で来たほうがいろいろ食べられて楽しいですね。
お店の雰囲気
ここは高原の宿泊施設内にあるので、カジュアルな雰囲気ですし、温泉に入った後の宿泊者がそのまま浴衣で来てもOKなレストランですが、今の季節は年齢層高めで落ち着いていていいなあと思います。
たまに「中華食べたいな~」という時、気軽に来れて、かつ騒がしくなくて結構好きな場所です。
時間があるときは、お買い物をして、温泉に入ってここに来てもいいですね~。
【ランチ】
[平日] 11:00~14:00 オーダーストップ
[土・日・祭日] 11:00~14:30 オーダーストップ
【ディナー】
17:00~21:00 オーダーストップ (夏期30分延長)
TEL:0551-36-6111 スパティオ小淵沢 フロント兼
諏訪に行ってきました。
2週間前の話になりますが、非常に天気が良かったので、午前中働いたあと、思い立って諏訪方面に行ってみました。夏以来!!
道の駅 信州蔦木宿
ここは諏訪郡富士見町というところです。温泉があって駐車場も広くて人気の道の駅です。
奥に釜無川という川が流れていまして、私はここに何度も来ているのですが、川原に降りれることを知りませんでした!!
台風の後だったので川は濁っていましたが、紅葉が綺麗でした。ちょっと早かったかな。二週間経った今が一番見頃かもしれません。
なんだか人が少ないなあと思っていたら、この日(火曜日)は定休日でした。。。普段は地元の野菜や長野のお土産が買えます!!
いつも行く上諏訪・下諏訪はまだまだ先です。
道の駅 信州蔦木宿 | 温泉つたの湯・お食事と、直売所てのひら館
下諏訪町
この日の一番の目的は『サロンしもすわ』のランチを食べること。私はいつも夜に行くことが多いので、なかなかランチに行けないのです。
無事到着して、下諏訪町交流の場、ミーミーセンタースメバに寄ってみましたが、お休みでした!
そことは別なんですが、ここって前からあったっけ?ちょっと時間が無くて寄らなかったけれど、今度行ってみようと思います。
そして、やってきましたサロンしもすわ!この定食が600円です。地域の方が日替わりで作っていらっしゃるのです。
お店の方とのお話しもはずんで、とっても楽しかったです。
こんなチラシをいただきました。毎年文化の日に開催しているんですね。私は毎年11/3は予定がありまして、吹奏楽を辞めないと行けなさそうです。残念!!でもこの地図は使おうと思います。
最近オープンした和菓子屋さん『ミズキ菓子店』はお休みでした。残念。。。今のところ、木金土9時半~16時半(売り切れ次第終了)のようです(^^)
古道具『ninjinsan』もお休みでした。ざんね~ん。
そして、塩羊羹で有名な『新鶴』は、塩羊羹は売り切れでした。こちらは水曜定休で8時半~18時までの営業です。塩羊羹は午前中の早いうちに売り切れちゃうのかな?お早目にどうぞ(^O^)
町の中も秋の気配。
諏訪大社下社秋宮にお参りしてきました。
ここから見る諏訪湖方面の景色が大好きです。(逆光ですが。。。)
そう、2つ目の目的は、腕時計を買うことでした。最近腕時計をなくしてしまって、夏にA1さんに連れて行ってもらった諏訪の“時計の科学館”みたいな名前の場所で販売していた時計が、素敵なのに安かったことがずっと記憶にあって、腕時計をなくした瞬間に、あそこ行こう!って思ったんですよね。
ここ『時の科学館 儀象堂』では、時計作り体験もできます。(下の写真は買ったものですが。)
こちらは30%オフで1,890円でした!この時は全品セールしていました。ここにある時計はすべて1点ものだそうです。夏にいいなあって思ったものはもう無かったので、その時に買わないとですね。
全体的にデザイン重視の時計が多いかな。超高級から普段使いのものまで幅広い種類があります。そう、諏訪は精密機器の町ですからね~。
そして、おなじみ『たるかわ』さんでパンを購入。何を買っても美味しいです。
洋菓子フレールで、頼まれていたお茶菓子を購入。美味しいシュークリームがいつでも100円のお店です。
この後、日用品を買いに下諏訪のダイソーに初めて行ってみました。二階建てでものすごく広かったです。しかし目当てのものは見つからず。。。ダイソーって取り扱い商品の種類が多すぎて、別の店だと置いてないものが多いなあ。。。
そうこうしているうちにだいぶ日も暮れて、帰りに上諏訪の『リビルディングセンタージャパン』にギリギリで寄れました。ここはかなり久々!
ものすごく物が増えていました!!
同じ10月に、東野さんデザインの『箱根TENT』や武蔵境の『えいよう』に行っていたので、やっぱりこの雰囲気が好きで、こんなにオシャレな場所が都心じゃなくて諏訪にあるっていいなあってつくづく思いました。。。
いつか自分の部屋もこんな雰囲気にしたいなあと思います。
電気のスイッチの部分のカバーが欲しかったのですが、ちょっと好みのものが見つからず、閉店時間も迫っていたので、マフィンとクッキーを購入。次の日に食べました!
この後真澄に行ったら閉店していました。。。19時までだと勘違いしていましたが18時まででした。残念。。。。
空振りも多かったけれど、やっぱり諏訪の町に行くだけで気分が変わりますね。
この日は昼の部を楽しみました!夜は美味しいごはんを食べたあとマスヤへ!と行きたいところだったのですが、夜の部はまたの機会に。
山梨とはまた違った魅力の諏訪も大好きですので、また近々訪れたいと思います。
バイトやめる学校に行ってきました!
11日土曜日に、八王子にあるデジタルハリウッド大学の学園祭的なものがありまして、その教室の一画で開催されていた『バイトやめる学校』に行ってきました。(土日2日間の開催でしたが、私は1日目だけ参加しました。)
『バイトやめる学校』とは、同名の本を書かれている山下陽光(やましたひかる)さんが開催しているセミナーのようなものです。
『バイトやめる学校』ってどんな本?
タイトルだけ聞くと、
どうせ「みんな嫌な仕事さっさと辞めて好きなことだけやって生きていこうぜ~!!」っていうこと言ってるんでしょ。でも実際そんなの無理だし!!
・・・と思うかもしれませんが、ちょっと違います!山下さんの言っていることは、かなり現実的なんですよね。私が最初に、お!と思ったのがこの部分です。
雇われてはたらくのがしんどくなって、やめて好きなことをやって生活していきたいというときに、自分が無理なくできることをすっとばして「好きなことをやろう」となってしまうから、突然、「田舎で古本屋カフェやります」みたいな話になる。それ、絶対食えないでしょ。
大事なことなんで繰り返します。ちょっと人が喜んでくれること、社会から需要があることをやる。(『バイトやめる学校』本文より)
山下さんが『バイトやめる学校』の中で言っていることを私なりに要約してみます。
今の世の中は「お金」という呪縛により、やりたいことを制限され、やりたくないことをやらなければいけないという考え方が蔓延しているけれど、まず、例えば
・引っ越してみる(例えば福岡はワンルーム家賃2万はザラ。9千円台もある)
・携帯を格安SIMにしてみる
・メルカリで物を売る
など、いろんな方法で生活コストを下げたりお金を生み出すことを考えてみる。⇒その分労働時間を減らせる!⇒減らした時間に好きなことをするというサイクルが作れる。
また、やりたくない仕事より、好きなことを仕事にしたいという想いはわかるけれど、多くの人が好きなこと(音楽・映画など)は当然競争率も高いので、「自分が得意で、かつ多くの人が面倒だと思うこと、かつ自分が嫌じゃないこと」を世の中のニーズに合わせて、それでお金が稼げないか考えてみよう!
といったことが書かれています。
この本がどんな本かというのは、佐々木典士さんのこちらの記事が、たいへん分かりやすいので是非ご覧ください。今この部分まで書いてから佐々木さんの記事を読み直したらちょっと凹みました。やはり佐々木さんの文章はうつくしい。。。
私はこんなふうには書けないので、自分が体験したことをガツガツ書いてみようと思います!
山下陽光さんってどんな人?
山下陽光さんは『途中でやめる』というリメイクブランドの服を作っています。ものすごく売れているのにものすごく安いのが特徴です。6,800円のワンピースが取引先の店で売れたときの利益は、なんと800円だそうです!(笑)
月収は夫婦で20万を超えないようにしているそうです。
人気なのに安く売って、雇っている人に高い工賃を払う。なぜなら「楽しいから」!
私はこのセンスに、痺れる!!と思いましたが、そんな山下さんは『バイトやめる学校』というセミナー的なもの、を2015年2月から全国各地で開催しています。
『バイトやめる学校』事前情報
今回のイベントの告知で、山下さんのブログにこうありました。
何時から誰が何をやる!というような、やる人教わる人という関係ではなく、その場で起きる問題をそこにいる人がどんどん解決していく悩みの広場を、作って、自分の特技の再発見と悩みを吐き出して誰かが救ってくれるかもしれないナイスな出会いの場になればいいなと思っておりますので、バチコンよろしく
正直、自分、行って大丈夫かなあと思いました。全然イメージが沸かない!!
でも、山下さんは福岡在住なので、東京に来る機会も少ないだろうし、そもそも私も東京にいつでも行けるわけじゃないし、この日ちょうどバイト休みだったし、今でも毎日悩んでいるし、行くしかない!!と思って日帰りで八王子に行ってきました。
結果、今読み返してみたら、本当にこの通りの空間が生まれていました。
私が『バイトやめる学校』で学んだこと
私が会場である教室に着いたときは、山下さんが服を広げていました。
会場には、服を見ている人もいましたが、何かが始まるのを待っている方が二人先に椅子に座っていまして、私もひととおり服を見たあと着席。
なんとなく雑談をしながら、服をだいたいセッティングし終えた山下さんから「じゃあ始めてみますか」というような一声で、ゆるやかに学校が始まりました。
最初にこんな紙をいただき、自分の好きなこと・得意なことを書いてみよう!と。
うわー。私全然書けないわーと思いました。得意と胸張って言えるもの何もないわ。
もう二人はサラサラカツカツ書いております。
あああ、なんか私やっぱ来るんじゃなかったなーと思いました。(ちっちゃい。笑)
この孤独感久々に味わいました。(かさこ塾初日と同じだ。)
とりあえず絞り出したのは
・文章を書く
・歩く
・イベント開催
(歩くがもう意味不明。笑)得意じゃないけど好きなことで、という注釈を付け。
他の方は
・ダンス・英語・服を作る・こどもの相手・出会いの場を提供する・PCで音楽を作る・プログラミング・ベース、、、などなど。 みんなもう既にいろんなものを持っているのだ!!ああ、自分めちゃくちゃ恥ずかしい。。。
途中から一人増え、4人+山下さんで話をしていたのですが
一人一人書いたことを発表、自分の説明⇒みんなで質問&アドバイス⇒この4人の中で誰かに貢献できそうなことを考えてみる
というような流れで、たぶん1時間半くらい話していたと思います。
この話の流れで、それぞれに、自分では全く出てこないような気づきが本当にたくさん生まれたんですよね。
他の方の例をどこまで書いていいのか分からないので、とりあえず私に起こった出来事を書いていきます。
私が、会ったばかりの人にもらった気づき
自分は、音楽イベントをやりたくて仕事を辞めて今アルバイトだけれど、イベントが思うように運営できないということに対して
・好きなことだけでお金を稼ぐのは難しい
・違う「嫌じゃないこと」でお金を稼いでイベントに投資しよう
という出発点になりました。
これは私もこの半年弱ずっと考えていたことで、イベントを継続するためにひたすらイベントを続けながらイベント運営方法を追求していくのか、違う仕事を持って余暇でイベントをやるのか、どっちもしっくりこないんだよなあと思っていました。
私はやっぱり、自分がやる意味があるイベントがやりたくて、ただ自分が好きな人が出演しているというイベントならば、それはたくさん開催されているので、ただそこへ観に行けばいいし、だけど、自分が毎回開催することで、そこに行けばそれぞれの会いたい誰かに会えるからそこに行くというような場所をつくりたくて、それは完全なる商業主義でも完全なる趣味でも私には継続していくことは難しいと、ここ数ヶ月思っていました。そして、私なりのやり方が絶対あるはずだとも思っていました。
『バイトやめる学校』を読み始めてすぐに、あまりにも私に言われているような一文が出てきて、ちょっと笑っちゃったんですよね。それから山下さんのことがめちゃくちゃ気になって、ブログを読み始めたらやっぱり共通の好きな人とかたくさんいて、そして山下さんの哲学はやっぱり服にも現れていて、「途中でやめる」の服はただクールとか奇抜とか抜群にかわいいとかいうオシャレさだけじゃなく、これが自分だという、肩に力が入ってないけどそこに確実にある芯みたいなものに物凄く惹かれました。縫い目や切れ目や布の合わせ方や糸を残しているところなんかに。
最初、自分は得意なことは何もないけど
・田舎(観光地)に住んでいる
・ワイナリーなどお酒に関する施設がたくさんある
・それなりに人は来るけど、どメジャーな観光地でもない
・運転ができる
・旅行が好き
という話をしたら、「ガイドをしたらいいんじゃないか?」という話になりました。
これは自分もちょっと考えたこともありましたが、そして試験的に一度実行しましたが(別に金銭のやりとりは発生していませんが)、山梨って「行きたいけどよくわかならい」って思っている人がいるんだなっていうことが分かりました!
これは自分も楽しいし、やっぱり追求していく余地があるなあと思いました。
その時、今は普段何をしているかという話になって
「今は3月で辞めた会社でアルバイトをしたり、家業を手伝っています」
「家業って何?」
「花の苗を作っていて、大きな会社の下請けで、小売はできなくはないのだけれど大変だから殆ど受けていません」
「!?」
「!?」
「それじゃね!?!?!?」
「小売でも売れるシステム考えればいいんじゃね!?もしくは誰か雇って作ってもらえばいんじゃね?!」
「(゚O゚)!!」
ってなりました。
いやまあ私も、家業がこのまま一代で終わってしまうのは勿体無いことなんだろうなというのは20年以上思っていましたが、そして、本気でやればいいじゃん、私だったらやりたいわっていうことは友達にもすごく言われていたんですよね。(女の人ってやっぱりみんな花好きなんだなーって思いました。)
だから、新しいシステムを考案することを一度も考えたことがなかった!!というわけではなかったのだけれど、(今のままでも生活はできます。)「自分で何かをする」と考えたときに、最も身近すぎる家業のことを、選択肢に入れるという発想は、いつも無意識に早々に完全に排除していたんですよね。
その、なんで排除してたんだっけ、入れてもいいじゃん!そういえばという意味での(゚O゚)
山梨に帰ってきたばかりの頃、7年前にも1年間家の仕事を手伝っていたのですが、その時は絶対に続けられないと思っていました。まあ、東京にまた住みたいと思っていたからなのもありますが。
でも年を負うごとに、田舎や自然がどんどん好きになってきたんですよね。これは一年ごとに想いが深まるなあと実感するくらい、今は地元や家に対する考え方が変わりました。
まあ、小売が上手く行くかは分からないけれど、自分が今持っていない何かを生み出してお金に換えようとすることよりは遥かに可能性があると思うし、そうじゃなくても淡々と今手伝っている仕事を、本腰を入れて勉強して引き継いでもいいんじゃないかと思うようになりました。この、一瞬で。今まで20年以上それはありえないなあと思っていたのに。
そう、この仕事の良いところは、一日の仕事量に対して、労働時間9-17時のペースで働けるというところです。植物相手なので、いっさい手を加えないという日は1日も発生してはなりませんが、それは交代でやればいいわけですし、いろんな働き方・休み方ができると思います。
ずっとここで暮らしながら働きながらイベントをやっていったらいいんじゃないかと思いました。という話を家族にもしてみて、すごく賛成してもらえたし、かつ、来年最初にやりたいイベントも思いつきました!
この数ヶ月間本当にいろいろなことを考えてきましたが、今までで一番しっくりくる答えが出たなあと思いました。
いやこれ、実際今までアドバイスしてくれた人もけっこういたんですけどね。(普通に考えたら絶対選択肢にあるよね。。。)だけど、ほんとうにこの日このタイミングじゃなかったら心が動かなかったんだろうなということはすごく思います。
ほんとうに、不意に。あれ、今まで何見ていたんだっけみたいな。
勿論これから学ぶべきことはたくさんあるのですが、考えてみたら、やれそう、面白そうって思える自分がいたんだなということに、全然気がつきませんでした。
この日たくさんお話してくださった山下さん、みなさん、お会いできてよかったです。
よし!バイトやめるぞー!
BANANA FISHの結末を小6だった私はどうやって受け止めたんだっけ
昨日、おふみさんのこの記事を読んで、改めて漫画『BANANA FISH』のことを考えていました。
(以下ネタバレあります。)
『BANANAFISH』は『別冊少女コミック』にて1985〜1994年まで掲載されていました。
『BANANAFISH』に出会った頃
私がこの作品を知ったのは、ちょうど連載が終わったすぐあとで、当時小学6年生でした。
当時私は少女漫画が大好きだったのですが、同世代が読んでいるような漫画以外に面白い漫画は無いのかなあと思って、小学校の先生におすすめの漫画を聞いたところ、『BANANA FISH』と『はじめちゃんが一番』を教えてくださいました。(『はじめちゃんが一番』も大好きなので、またどこかで記事に書きたいと思います。)
先生は別コミの連載を読んでいたのだと思います。ちなみに新卒の男性の先生でした。お兄さんみたいな感じで、とても人気の先生でしたね~。
当時、自分も含めみんなが読んでいた月刊誌は『りぼん』が一番人気。その次に『なかよし』『マーガレット』『ちゃお』と続きました。数人『花とゆめ』を読んでいた子がいたかなあ。それらの漫画も勿論好きだったのですが、誰も知らない漫画が読みたかったんですよね。
『BANANA FISH』を知った当時、連載は終わっていたので、今ならば漫画喫茶で全巻読みに行くところですが、また、大人だったら全巻まとめ買いをするのかもしれませんが、23年前、かつものすごく田舎に住んでいた私は(今も住んでいますが)、たまに出かける時に月1~2冊くらいのペースで少しずつ集めていったのだと思います。(お正月にお年玉でまとめて買ったりした時もあったのかな。。。)
こどもだった私が抱いた憧れ
それまで読んでいた漫画は、『天使なんかじゃない』とか『こどものおもちゃ』とか『水色時代』とか『レイアース』とか。あ、でも、『SLAM DUNK』と『幽遊白書』だけは少女漫画しか読まない子も、ほぼみんな読んでいました。(るろ剣はもうすこし後。)
そこにきて『BANANA FISH』は、ドラッグとか銃とかニューヨークとかマフィアとか国家機密とか、IQ210の主人公アッシュが無敵すぎる戦いの数々がただひたすらにクールすぎることとか、何もかもがただことじゃなく新鮮すぎて、12歳の私はこの漫画にとんでもなくのめり込みました。
わかりやすいかっこ良さにただ惹かれる年だったので、私は、行ったことのない国の知らない文化の中で、ただひたすら強すぎるクレバーすぎる美しすぎるアッシュの虜でした。
意外に最後をすんなり受け入れられた気がする
この漫画の最大のテーマはやっぱり「愛」だと思うんですよね。いろんな形の愛。友達・家族・仲間・異性・同性の間にある愛。
そういった愛情が、自分の力ではどうしようもないものに阻まれたりしてしまったとき
例えば、アッシュがショーターを射殺するしかなかったとき
ここもとても辛いシーンなのですが、たぶん、たしか、物理的な現実に愛情の深さは殺されたりしないというようなことを思ったと思うんですよね、私は。
当時こんな言葉は言っていないと思いますが、趣旨としてそういうことを感じていたんだと思います。
最後のシーン、アッシュが英二の手紙を読んで、自分は英二といるべきではないと思ったのに、英二の手紙に心を動かされて、動かされたのに、端的に言うとそのせいで死ぬことになってしまったことを、当時の私は、「でもアッシュは死ぬ最後に幸せだったんだ」とひたすら自分に言い聞かせていました。たしかそうだったと思います。
たくさんの大事な人を失ってきた人生、自分がいつ死ぬかも分からなかった人生、平穏とはほど遠かった人生、人に心を開くことができなかった人生の最後に、ただ一人最愛の友人に出会えたことは、その愛情の深さは、どんなことに阻まれても永遠に生き続けるんだなあと、番外編で成長した英二とシンが当時を回想するシーンを見て思いました。
当時こどもだった私は、英二がこのどうしようもなく辛い人生の節目に、自分なりの折り合いをつけながら、つけずにいられながらも、カメラマンを志してそれを生業にもしながら、ただ静かにおだやかに生きていることに希望を感じたんだと思います。
ああ、何があっても人はこうやって生きていけるんじゃないかと、それは、シンの力も大きいと思うのだけれど、私もこれからの人生で何が起きても、自分なりに立ち向かって立ち直っていけるんじゃないかという趣旨のことを思ったんだと思います。
当時、10代なんてどうしようもなく些細なことがすべておおごとで、常に生きづらさを感じていた自分は、(高校を卒業する時いろんな先生に、「これから生きづらいとおもうけどがんばれ」というようなことを言われた。)毎日ただひたすらに不安要素は消えなくて、アップダウンのとてもきつい道を歩いていたような気がします。
そんな時に漫画に支えられていたし、人生の教訓みたいなものも自分の解釈をしながら学びとっていたような気がします。
そんなBANANA FISHがアニメ化だそうです。その情報を見てから自分も改めてBANANA FISHのことを思い返してみました。
全巻持っていたのですが、イラスト集も持っていたのですが、手放してしまい、最後に読んだのは数年前なのですが、アニメが始まる前に全巻読み返したいです。今だと違った感じ方もたぶんあるでしょう。
やっぱり漫画っていいなあと思いました。今の時代は漫画喫茶にいつでも行けるなんて最高すぎますね。自分がこどもの頃にあったらどうだったんだろう。ここまで一つ一つの漫画を大事に読まなかったかもしれません。
こどもの頃少ないお金でどうにかこうにか集めたものとか、その時感じていた価値を、大人になって同じように感じることはものすごく難しいことで、経験が増えれば新鮮なことはどんどん少なくなっていくし、だいたいのことがお金で解決できてしまうのだけれど、こどもの頃に感じたあの尊さに近いものを、私は今も探しているんだなあと思います。
人前で話すことが以前より得意になってきた理由
私は地元の吹奏楽団に所属していまして、先日地元のお祭りで演奏してきました。
この楽団は、完全なる趣味の集団ですが、練習は週2回各2時間やっています。
ステージは自分たちがホールを借りて主催する演奏会が年2回、他に、地域の文化祭やお祭りや施設の慰問を含めると年10回くらいあります。
ホールで開催する演奏会はプロの司会の方にお願いをしていますが、それ以外のステージではメンバーが交代で、自分たちの曲紹介などをしています。
そして私は、地元のお祭りの演奏にて、2年ぶりくらいに曲紹介をしました。
人前で話すのは苦手だった
人前で話すということは、「積極的にしたい」とか「大好き」という人は、まあどちらかといえば少ないんじゃないかと思いますが、大人になると、仕事などで人前で話したりプレゼンしなくてはいけない機会に遭遇したりもしますよね。
私もできればそんなことは避けて生きていきたいと思っていましたが、この年になって改めて音楽イベントをやりたい!と思ったときに、やっぱり自分が人前で伝えたいことを話す時間は少しでも設けるべきだし、そんな時に緊張せずにちゃんと伝えたいことを伝えられるようになりたいと思っていました。
一所懸命暗記しても忘れてしまう
先日のお祭りからちょうど2年前に、町の文化祭で吹奏楽団の演奏があり、この時初めて曲紹介をしました。
その時はたぶん5曲くらい演奏したと思うのですが、各曲の間に、
~この曲は○○さんが歌っていて○○の主題歌で、今日の○○な雰囲気に合うと思って~
といったことや、楽団の紹介とか自分たちの次のステージはいつだとか、そういうことを曲と曲の間に2分くらい喋るというものでした。
町の文化祭は発表会みたいなものなので、これを紙を見ながら喋っても別に全然構わないのですが、何も見ないで喋ったほうがかっこいいよな~と思って一所懸命暗記しました!
でも、当日念のために原稿は手元に置いておこうと思ったら、結局緊張して最初から最後まで原稿を読んでしまったんですよね。。。。
「なぜ忘れるのか?覚えるから忘れるんだ!覚えるな!」
先日ラジオで聞いた、とある落語家の方のお言葉です。
一瞬、分かるような分からないような気持ちになるのですが、要はこういうことですね。
私が2年前の文化祭で喋った時は、用意した原稿を一言一句間違えず完璧に暗記しようとしていたんですよね。
でも、伝えるべきポイント(曲名や、どんな曲かということなど)だけを押さえていれば、言い回しとかは別になんでもいいんですよね。
そして、曲のデータ的なことは、演奏している曲なんだから元々頭に入っているし、だから今回のお祭りでは、ただそのポイントだけを押さえて、時間を測りながら喋る練習をしました。
細かい言い回しは毎回違ったりするけれど、時間内に言うべきことが収まっていればOK!という練習を繰り返していたら、当日も練習通りにすんなり喋ることができました!
いちおうポイントだけを書いたメモも用意していましたが、全く必要ありませんでした。いろんな人にお褒めの言葉もいただきました。よかったヽ(;▽;)ノ
ただ、終盤早口になってしまったので、ゆっくり喋れるようになるのが課題です。。
好きなことを話すということ
20代の頃東京のライブハウスでイベントをやっていた時は、自分が主催していても自分が人前で喋るということはほとんどしていませんでした。
だけど、その時からだいたい10年くらい経った去年思ったのは、なんで自分が好きな人に出てもらってその人たちを知ってもらいたくて主催しているのに、自分がちゃんと喋って紹介をしたりしなかったんだろうということでした。
なので、去年初めて山梨でイベントをしたときから、ものすごく苦手だけど司会的なことをやろうと思いました。
でもやってみたら、自分が好きな人のことを話すことって何を暗記する必要もないし、例えばプロの司会を頼んだとしても、その人よりも自分の方が、出演する人を「好き」という気持ちは絶対に強いわけだから、やっぱりたどたどしくても、自分が話すべきだなあと、そして思ったよりも緊張しないなあということも分かりました。
これが、“一言一句間違えられない原稿を完璧に暗記してそれを喋る”ということになると、全然話は違ってきますけど。
そして最近始めたRadiotalkというアプリもちょっと役に立っているかなあと思いました。
このアプリでは、電話をする時のスタイルでMAX12分の自分の番組を収録して、アプリ内で即配信できます。これは、誰が自分の番組を聴いているのか全く分からないという、あまりモチベーションの上がらないアプリなのですが、私はとりあえず14回配信しました。
とりあえず14回自分の決めたテーマに沿って話しています。最初原稿を用意して読んでいましたが、途中からフリーでも喋れそうと思って、原稿を書くのもやめました。
それを自分で聞くのも結構勉強になりました。私はよく聞き取れない単語を結構な頻度で発しているなあとか、結構喋り方が冷たいなあとか、録音しないと全然気づきませんでした。
当たり前だけれど、何でも場数をこなすこと
自分が、「この人はなんて話が上手いんだろう」と思う人もよく言っていたのが「最初は全然上手く喋れなかったけど数をこなして喋れるようになった」っていうことなんですよね。
津田大介さんとか、かさこさんとか、あ、佐々木典士さんも何かに書いていた気がします。
勿論自分はそんな境地にはまだまだ遠いけれど、やれば確実に上達するということが分かりました!
未だ自分の声は好きにはなれないのですが、いつか憧れの人たちのようになれるよう、これからも練習して、人前で喋る機会があれば、積極的に話そうと思いました。
絵本「おおきな木」を思い出して
昨日、円野まどさんの「おおきな木」についての記事を読んでずいぶん考えていました。
「おおきな木」とは、その感想が分かれることでも有名な絵本ですが、私も過去の記憶をたどり、改めてこの作者が表現したかったことに思いを馳せました。
「おおきな木」のあらすじ
登場人物はリンゴの木と少年です。二人は仲良しでしたが、少年は成長するにつれ、お金が必要になったと言えば、木は自分の果実を売るようすすめ、家が必要になったと言えば、自分の枝で家を建てるようすすめ、遠くへ行きたいと言えば、自分の幹で船をつくることをすすめる、、、というものです。しかも、少年はそれらを与えてもらったあとには、木のところには長いあいだ戻ってくることはなく、困った時にまたやってくるという人生をおくります。(いちおう、結末は書かないでおきます。)
解釈の分かれる点
まどさんの記事を読んでから、改めてネットでいろんな人の感想を読んでみたのですが、ほんとうに様々ですね!
本田錦一郎さん訳(現在絶版)と、村上春樹さんの訳で解釈が違うというのも有名な話のようなのですが(私はたぶん村上春樹さん訳を読んだと思うのですが)、論点は
・木は本当に幸せだったのか?
・木は少年をダメな人間にしてしまったんじゃないか?
・木が少年に与えているものは何なのか?愛情と言えるのか?
など、いろいろありますよね。
私も改めて、この絵本は何が言いたかったのかなあということをものすごく考えて、まどさんの記事に感想を書きました。
でも今日改めて考えたら、その感想もちょっとだけ違うかもなあ・・・という気もしてきました。本当に深い。。。
思うに、この本にはたぶん「正しい答え」は無くて、これを読んで感じたことで自分を振り返ることができる、その人の指標のためにあるような本なんじゃないかなあと思いました。
私の、これを初めて読んだ10代と35歳の今の解釈もだいぶ変わったと思います。
私の感想
私は、この木が少年に与えているのは自己犠牲的な愛ではないんだよなあと思いました。
でも、そうやって物を望むままに与え続けてもらえることで意のままに生きてきた少年は不幸じゃないのか?と考えると、 この絵本の最後の段階では、少年(というか老人)は不幸だと思いました。
・・・と、昨日は、この本の最後の段階での少年は「不幸」だと思ったのですが、最後のシーンは、今考えると、自分の意のままに生きてきたことを振り返って後悔をした後に、そういう自分も受け入れて人生を振り返っている(のじゃないかなあと思う・・・)その瞬間はもう不幸ではないのかもと思いました。
木の行動は、普通に考えたら、見返りを求めずにできる行為ではないけれど 木自身は、見返りなどいらない、かつ、少年の行動を全肯定するわけではないけれど 自分にできることはただ、言われたものを与えるだけだと思っている という気がします。
木は、その結果起きる事態も全て、少年が生きてきた人生もすべて、世の中のことわりとして受け止めること、それでいいんだと思っているんじゃないかなあ・・・というのが、自分が好きな解釈です。
私は、自分が不幸だと思っていた恋愛の時に、この木のようになれていたらよかったなあということは 今でもよく思います。すごく、思う。
ここまで考えたときに、あ、私こういうひと知ってるわ!と思いました。
私の解釈なんですけれど、私の好きなバンドAndareの国吉亜耶子さんて、精神的にこんな木みたいな人じゃないかなあと思ったんですよね。
『その声は藍色の空で星になる』とか『お別れのうた』とか『どうかこのまま』(とか他にもあるけれど)を聴いていて、いつも「どういうことなんだろう」と思っていたことが、すごく腑に落ちた気がしました。(私の勝手な解釈なので、全然違うかも知れないけれど。)
これらの曲を聴いていると、世のことわりを俯瞰しているような、禅の心みたいなものを感じていて、それがすこしさみしいような気もしていたんだけれど、それはあまりに広くて深い愛だからそんなふうに感じるのかなあと、それは、この本を読んだ時の気持ちに似ているなあと思いました。
こんな木のようになりたいと思う私は、まだまだそんな域には遠いけれど、すくなくとも10年前よりは、受け止められることはすごく増えたんじゃないかなあと思っています。ダメすぎた10代や20代があってよかったなあと今は思います。
よかったら「おおきな木」読んでみてください(*´`*)
リビセンデザイン、武蔵境の『えいよう』に行ってきました。
10月のはじめに、東京は武蔵境駅から徒歩5分くらいのところにある小さな料理屋さん『えいよう』に行ってきました。思っていたより小さくて、最初通り過ぎました。
そして、最近私はTシャツ2枚をずっと着まわしていて、たまたま(ホントに!w)リビセンのTシャツを着ていったら、お店の方がすぐに話しかけてくださり、とても話がはずみました。最初、あ、しまった!恥ずかしい・・・と思ったのですが、着ていってよかったです。
リビセンデザイン
リビセンとは?
長野県諏訪市にある、建築建材のリサイクルショップ『リビルディングセンタージャパン(ReBuilding Center JAPAN)』の略です。
解体が決まった古い建物から、古材や古道具を引き取り(レスキュー)、販売しています。
代表の東野唯史さんと、華南子さんご夫妻は、会社を立ち上げる前から『medicala(メヂカラ)』という屋号で、お店やゲストハウスなどをつくって、完成したら次の土地へ移るという生活をされていました。
詳しくは最近発売されたこの本に書かれています。(デザインもさることながら、リビセンという会社の深く熱い理念がとても分かりやすい、読み応えのある本です。)この本は『えいよう』でも販売していたので、私はここで購入して、飲みながら読んでいました。『えいよう』は、この本の中にも登場します。
東野夫妻が他の社員の方と共にリビセンをスタートさせて最初の店舗デザインとなったお店です!
ちなみに、以前medicalaがデザインを手がけたお店やゲストハウスは全国にたくさんあるのです。
下諏訪の『マスヤゲストハウス』や、東京・蔵前の『Nui.』や、高田馬場の『地球を旅するカフェ』など、他にも多数!
http://medicala-design.com/works/
そして、リビセンがスタートしてからまだちょうど一年ほどの間にも、すでにたくさんの建物などををデザインされています。(すごい!)
http://rebuildingcenter.jp/tagged/design
私も訪れたことのある場所はいくつかありますが、東野さんファンは、東野さんデザインの建物を巡る旅をしても楽しいですね。全国のいろいろな所に行けますね。
『えいよう』の内装
ここはカウンター12席のみの、小さなお店です。カウンターと言っても、テーブルは大きめで、入った瞬間に目を引きます。
この古材は、オーナーの清水さんが以前働いていた『日本酒と料理 横尾』の姉妹店である『お茶とお菓子 横尾』のカウンター席で使われていた古材が再利用されています。
・・・ということが、リビセンの本にも書かれているのですが、ここで
あっ、『横尾』って吉祥寺にあった有名なお店で、いつか行きたいなーと思っていたら閉店しちゃったお店だ!!と気づきました。そっかそっかー。
結局行けないままだったけれど、この日こうして別の素敵なお店のテーブルに会えて、なんだかよかったなあと思いました。定番。建具の窓。
この椅子は、レスキューした布を使って、リビセンでレスキューした椅子を張り替えたものだそう。二重・三重のレスキュー!
お料理
この日は、ライブに行く前にちょっと立ち寄ったので、日本酒を半合だけ。こちらは栃木の『鳳凰美田』。
お通し。がんもどき、かな。
煮物も美しい。料理は、メニューから200円引きで一人分にしてもらえます。
白あえ。フルーツも入っています。
お料理は全部丁寧につくられていて、とても優しい味です。日本酒が充実していまして、分からないことは質問したらとても丁寧に教えてくださいます。基本はお酒とおつまみの、和風なバーですね。
自然と自分も、ゆっくり丁寧に味わって食べたくなるお店です。
複数人でワイワイというよりは、2人くらいで静かに飲みたい時にいいかなあと思います。
特に、食事の趣味が合う人とのデートに最高だと思いました!!絶対相手に喜んでもらえると思います。
席が少ないので、是非予約して行ってみてくださいね。(webはインスタとFacebookページのみのようです。)
https://www.facebook.com/eiyou11/
ちなみに私はこの記事を読んで行きました。お店のことがより詳しく書かれています!