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燃え殻さん著『ボクたちはみんな大人になれなかった』を読んで

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cakesで連載していた頃から毎週楽しみにしていた、燃え殻さんの『ボクたちはみんな大人になれなかった』が発売されてから、私のタイムラインでは絶賛の嵐だった。勿論私も大好きだ。

 帯でも、私の好きな方々が絶賛していた。そして今日、東洋経済オンラインのこの記事を読んだ。結構手厳しいコメントもあった。ちょっと笑ってしまった。ああ、これもちょっとした層の違いであって、ああ、私はやっぱり、この小説が好きだと言うような人が大好きで、自然とそういう人たちに惹かれて、尊敬したり一緒にいたりするんだな、そうしたいんだなあと思った。

この小説は、簡単に言えば忘れられない過去の恋人の話だ。主人公が人生で最も影響を受けた恋人と過ごした時代、そして現在が、交差しながら話が進んでいく。

私は主人公(モデルは筆者)よりは、少しだけ歳下だけれど、主人公がかつての恋人と過ごした時代背景を、私もリアルに通過してきた世代である。

 

私が30代に差し掛かる頃になって少しずつ変わってきたこと、30代になって確実に変わったことがある。

その想いを一言で言うと「大人になってよかったなあ」ということだ。

私にも、「いつまでも思い出にさせてくれない人」がいて、それは果てしない呪縛だった。自分から勝手に呪縛にかかっていた。解き方は永久に分からないような気がしていて、それは果てしない恐怖でもあった。

でも30歳を超えた時に、自然と心のバランスを保てるようになってきた。はっきりした理由はわからないけれど、私はたぶんホルモンのバランスが関係していると思う。何年も続けてきた忘れる努力は永久に報われない気がしていたけど、努力とは関係なしに、自分の中で確実に何かが減退していった。

それが私の「大人になった」瞬間だなあと思っている。

仕事で成功するとか、結婚するとか、子供ができるとか、そういった世間的に最も分かりやすい称号のようなものは何一つ持っていないけれど、そんなことより、永久に取り扱えないような気がしていた自分の感情を自分でコントロールできるようになったことは、この上ない生きやすさであり心地よさであり、何者にも代えられないくらい私にとっては重要なことであり、35歳になった今でもそう思う。

でも「思い出にさせてくれない人」はそのまま私の心に生きてもいる。

もう呪詛しなくてもよく、噂に傷つくこともなく、元気でいて欲しいと心から思える気持ちは、もうこの先誰にもあてはまらない、自分の中で一種類だけのシンプルな好きだなあと思う。

 

そして、その人が私ではない誰かと過ごした過去が、この小説そのもののような日々だったんじゃないかなあと強く思いながら、続けて2回読んでしまった。

そんな彼の思い出を覗いたような気になって、それはなんだか全てが壊れそうで壊れない優しくて切ない終わらない音楽のようだった。

全然シンクロしないのに溢れる涙はなんなんだろうなと思った。

 

自分がそこにいられなかったことも、その先にいられなかったことも、それを呪い続けてきた過去も、それを、思い出でもなく忘却でもなく、静かに心に温めて置ける今の自分にとても安堵した。

人生の中で絶対に一種類だけのこの気持ちを持っていられて良かったなあと、明日からもこうして生きていく、何一つ持っていない私が、ひとつだけ付けている宝石のような小説を、また何度も何度も読み返して生きていくんだろうなと思った。