それぞれのベーシックインカムを考える。
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今周囲で話題のベーシックインカムハウス。こんなところが増えていったら夢のようだと思う。
すでにすばらしい能力のある人に対して、それらを更に開花させてくれるパトロンがいる、というかんじかな。
こうやって、能力のある人が、よりその価値を提供できる世の中になれば、チャレンジできる人もより増えるのだと思う。すばらしいとおもう。
『ベーシックインカム』という制度を、国が何らかの形で導入することは、まだ難しいと思うけれど、こうやっていろんな一般人がいろんな形で提供する流れはいいなあ。
ここまで考えて、自分が最も興味あるベーシックインカムの形はなんだろう、と考えた。
私がより興味があるのは、もっと切実に貧困や生きづらさを感じている人に対してのベーシックインカムが、どうにかつくられないだろうかということだ。
元々能力のある人は、ベーシックインカムがなくても、今の世の中を生き抜くことは、恐らくそんなに困難ではないのだとおもう。
そしてベーシックインカムがあることで、そのパワーを120%発揮できるという感じ。
それも、とてもすばらしい。
自分は今の時代に生きて、ああ、もう一般企業で働くのは無理だなあと思った。
無理だというのは、「やりたくない」ということだ。
やらなければ死ぬ、となったらできる。死ぬまでいかなくても、なんらかののっぴきならない理由があれば、再開することは、できる。
人間関係においては、組織関係なく、ずっと生きづらさを感じてきた。
けれど、23歳くらいから、いろんな人との出会いにより、生きづらさは少しずつ解消されてきた。
ああ、人はこんなふうに変わることができるんだなあと思った。
また、私はインターネットをすごく利用するし、SNSやブログもけっこう楽しんでいる。
楽しんでいるけれど、会社と同じ構造だなあと思うこともある。
わたしも常に、能力のある人に影響を受けて、たくさんのことを知って、自分の生活も充実させていると思う。
とても楽しいけれど、時に嫉妬や疎外感や悲しみも覚える。
そういうことは自分なりの方法で、解消したりする。
今自分は、例えば同級生にくらべて、持っているものはものすごく少ないけれど、人生がこんなに生きやすいということを知ることができて、かなりの幸せを感じている。
今そんなのん気なことを言っていられるのは、実家というベーシックインカムがあって(家賃と生活費は払ってますが)、かつ人間関係に恵まれてきたからだと思う。
でも誰しもがそういう環境にいるわけでもないし、理想はそれぞれが「自分のベーシックインカム」を見つけられたら最高だなあということ。
人には、それぞれの立場でそれぞれの役割があると思っていて、自分はお金に余裕はないけれど、精神的には、まあまあ余裕があると思っている。
見る人から見れば、わたしもどうかしている。そういう言葉もたまにもらったりする。
たぶん、どうかしているんだとおもう。
そういう私にも何かかできることはないかなあとおもっている。
切実な貧困や、切実な病気を直接的に完全に救うということは難しいと思う。
提供できる資材も財産もないけれど、どうかしてる私なりの何かを、いつも考えている。