田舎でもいろいろな人に出会える場所もある。
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今の仕事に就いて良かったなあと、改めて思うことが(たまに)あるけれど、今この瞬間は、ひしひしと思っている。
この仕事を始めた理由は、家が近いからっていうのが一番。そしてずっと辛かったので、やっててよかった!という言葉が(たまに)言えるようになったのは最近なんだけど、やっぱりこの田舎で働いていてこんなにいろいろな人に会えるのはすごい。
大きな会社なので正社員の人は全国転勤があり、仲良くなった人が遠くへ転勤してしまったりすると寂しいけど、遠くへ会いに行けるのは、いいな。今年も行ったし。そして、正社員としては絶対入れない会社に契約社員で入ることも、そうでなければ絶対に話す機会のないクラスの人と話せたりすることは、凄く尊いことなんじゃないかとやっと気がついてきた。そんな体験をしている。
こんなことは1,2年目なんて1ミリも思っていなかったけど、これは、その時だってそこにあった客観的事実なのに、全然目に入らなかったのも面白いなって思う。
これはたまたま、今の状況を生きる自分にとってのメリットを考えてみて思ったことだけど、違う職場にいたらまた違う利点を見出せると思う。
楽しく生きようと思ったら、景色がどんどん違って見える。
自分は自分のことを、まだまだ知らないんだなあと思ったりする。
いまふと思ったんだけれど、「自分」て永久につかめないんじゃないか?人は、自分を知るために一生を生きていくのかもしれない。「自分でもよくわからない」ことに悩む必要は無いんじゃないか。それが当たり前だから。「自分のことだからよくわからない」が正しいのかもしれない。
だって今、自分が過去に言っていたことで間違えていることってたくさんあるし、ブレていることもたくさんあるし、言っていること違うって指摘されることもたくさんあると思う。
自分で自分のレコードは参照できないのだ。いや、しようと思えばできるけれど、自分が生きているのは(当たり前だけど)いつだって今だから、今思っていることが一番正しいし一番必要だし、そんな時に、それは過去と言ってること違うかなって参照する作業は単純に、面倒なのだ。いちいちそんなことはしない。
けど、他人が過去に言ったことをたまたま覚えていて、「今言ってることが違うぞ」って思う機会は結構あると思う。それは他人だから参照できるのだと思う。
今この瞬間もなお記録し続けているわたしのレコードは、遠くから見た方がわかりやすく、私は足元しか見えていないから、ブレてるとかズレてるとか今この瞬間は分からないのだ。それが凡人だなあって思う。
凡人の私は、もうブレてるとかズレてるとか気にしないのだ。いつだって今が好きで今が正しい。それが何か間違えていたらまた修正していくだろう。その時正しいと思った方へ。もう「自分が分からない」とは悩まないようにしよう。自分は分からないものだから。ただ今この瞬間、何かを考えていることは、自分の頭で考えていることが「ある」っていうことだけは大事にしていたい。
今思っているのは、ただ、楽しく生きたい。