人にはそれぞれの役割がある
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最近「若いのにすごいな!」って人に出会う機会が多くあって、でもよく考えてみたら、最近よく一緒にいる人たちって殆ど歳下。ネットで存在を知ってフォローしたり記事を購読したりしてる人も歳下が多い。
そういう人たちに出会って、目標が無い頃の自分だったら、小学生の頃までさかのぼって過去の自分を呪っていただろうなあと思うけれど、今は素直に尊敬する。自分も真似したい!と思うし、落ち込んでいるときにすごく元気をもらう。ちょっとだけ、うらやましいなあと思ったりもするけれど。
「あの時こうしていれば・・・・」ということは、今まで何百回も思ってきたけれど、今は、過去のだいぶ残念な自分があってよかったなと思っている。
人にはそれぞれの役割があると思っている。
自分が尊敬する、スマートで、革新的で、最先端を行くスターは、広くたくさんの人を救うだろうし、たくさんの人に大きな影響を与えているはずだ。
でも。振り返ったらぶん殴りたくなるような過去の甘えた自分や、そんな自分が繰り返してきたあらゆる失敗など、総括すると究極にダサくて残念だった自分がやることだからこそ、響くだれかが、たぶんいるんじゃないかと思っている。
抜群に頭の良い人たちは、広く深く大きく人に影響を与えるだろうけれど、自分みたいな人間が言うことが、ごく狭くてもどこかの誰かに届いてくれるんじゃないかと思っている。そしてそれはすべての人に言えることなんじゃないかと思っている。
100人の人間がいたら、100通りの生き方と100通りの人間性があって、もしそれを各々が継続的に発信していたら、どこかの誰かに届くはずだと思っている。
発信というのは、別にブログとかSNSとかだけじゃなくて、ただ身近な人と話すとか、そうやって人間関係を築くとか、そういう中でも、その人がその人だからこそ果たせる役割があると思う。
こういった考え方に説得力が伴うような人間になって、それからも思っていることを言い続けたいというのも、自分の目標のひとつである。
こんなことを言いながら、自分は成長したなあと思いながら、やっぱりダメだなあと後退することもしばしばある。3歩進んで2歩下がりながら何年も生きているなあと思っている。
自分を飾る必要は無いと思いながら「この人に良く思われたい!」という気持ちが自然に湧き上がってくることに、よくがっかりしている。つい最近も思ったことである。
そして
夜、静かな時間につきつめて考えると、結局すべきことは「今自分がやりたいこと(目標)をやる」それだけなのである。
今自分がやりたいことをやろうとする過程で、順番に(順番に!が重要)人の信頼を得られて、やりたいことが少しずつ実現していくんだろうと思う。今つい「良く思われたい」と思ってしまうその人にも、認めてもらえるかもしれないし、そうでなければそれは、どうしようもないし、どうしなくてもいいことなのだ。
「この人に良く思われたい!」というのは結果として現れることで、目的として考えるのが間違いである。
その他の「〇〇が欲しい!」とかも全部そう。やりたいことが実現できたら、たぶん手に入っているんだと思う。
だから、何も迷わず、今はやりたいことをやればいいのだ。非常にシンプルだ。これから悩むのは、やりたいことの中だけのことにしよう。
そうやって生きていく自分が、果たす役割があると思っている。