ココロサードプレイス

日常で考えていることを書いています。

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syrup16gがなんで好きか。 Zepp Tokyoに行ってきた。

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復活してからのsyrup16gの曲は最初、なんというか、聴き始めてからず~っと爆音の上に外国語が乗っかっているように聞こえる。10回くらいアルバム全部をリピートしてもそんなふうに聞こえるんだけれど、11回目くらいからなんとなく言葉が聞き取れて、だんだんかっこいいメロディだなあと思って、20回目くらいに、やっと言葉の意味の断片と旋律が腑に落ちるなあと思う。そこを超えたらもうひたすらに虜なのだ。

『darc』は本当にそうだ。未だに意味が全然分からないのだけれど、この1~2年くらいの近況報告みたいにも聴こえて、ブックレットの写真にも多分意味があって、五十嵐氏の抱える虚無感みたいなものと、自分と社会の関係性をすごく客観的に見ているのかなあと思う。聴く人はそこに登場する景色や人の一部に自分を見出したりして、少しだけシンクロするんだろうなあと思う。

実態はぼんやりしていて煙に巻かれたような気になって、でもそこにある重圧なサウンドと切ないメロディだけで永久に浸っていたくなるようなsyrupの音楽がやっぱり好きで、だから溢れてくるのは楽しさで、なんだか分からないのに拳を振り上げたくなるんだけど、このアルバムは、なんて深い哲学書なんだと思っている、私は。

どうしようもない悲しみの回避の方法であり、実は回避しなくてもいいんじゃないかというようなことを言っている気がするような、いや、全然分からないんだけれど、分かりたくて生きたいという気持ちが湧き上がる。

もし言葉がひとつも分からなかったとしても、言葉の深さと同じくらいの重くて美しいメロディと3人のサウンドが言葉の意味を超えて心に訴えかけるライブがいつだってそこにある。

ひとの苦悩はたぶん、解決はしないんだけれど、ただsyrup16gを好きでいて、そこに存在する言葉の意味に、すこしだけでもシンクロする瞬間があるかもしれなくて、そして、まあ、あったらいいかな、なんてことを五十嵐氏が言っているようような気が、私はしているのだけれど、難解な哲学を美しい爆音が凌駕しているんだと思う。どうしようもなく虜になってしまう音楽の後ろに積み重ねられた繊細さを、たぶんこれからも物凄い時間をかけて読み解きたくてsyrup16gを聴き続けるんだと思う。


syrup16g tour 2016『HAIKAI』は全国8箇所9回公演。私は東京一日目だけに行ってきました。Zepp Tokyoには多分7~8年振りくらいに行きました。キャパシティは2,600人くらいで、もちろん完売しているのですが、パーソナルスペースには余裕があって一番前のブロックに行かなければ、荷物を持っていても平気です。

セットリストは、Cassis soda & Honeymoonから始まって、本編前半は『darc』の曲。その後昔の曲を織り交ぜながら、『HURT』からは、生きているよりマシさとShare the light でした。今も昔も五十嵐氏の根底ににあるものはたぶん変わっていないんだろうなという安心感を感じました。MCは少ないけれど、感謝の言葉に溢れていて、途中全然聞き取れない部分があったのだけれど、たぶんこれからも続けていきたいみたいな趣旨のことを言っていたのだと思います。

本編最後のcoup d'Etat~空をなくすの流れと、1回目アンコールの落堕~真空で、昔からのファンの盛り上がりは最高潮で、ああこれぞsyrup16gという熱気が溢れかえっていたんだけれど、ダブルアンコール、最後の一曲で『darc』のRookie Yankeeで、これからを見据えたいという前向きで、静かで静かで優しい気持ちになれました。この世はルーキーズ。


この数年の間に発表された曲で私が一番感銘を受けたのが、Share the lightの

君の涙を切り取って 海に沈めたなら
六大陸が一瞬で 潤んだ目に沈む

という歌詞です。こんな悲しみとは、一体なんなのか。でも実は、そんなに遠いことを歌っているんじゃないんだと思う。

何年後かに、ああそういうことだったのか、と思う瞬間が来るのだと思う。

いつもいつも、何かを考えながら聴いている。これからも。

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