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日常で考えていることを書いています。

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はあちゅうさんの『とにウツ』2回目読了

1泊で東京に行ってきました。はあちゅうさんの『とにウツ』2度目を読み終わりました。これを読んでやりたいことと、昨日・今日東京で出会ったことなんかがいろいろリンクして、今すごくいい感じです。全部良い方向に行きそうな。

私はもう20年以上悩んできた身体の悩みを克服するぞ!やっぱり何をやるにしても、ベースには健康がなきゃいけないと思いました。

楽しく生きたいとか、そのためにどうするかとか、そういうことを考えて、頑張るためにも、身体が最高の状態じゃないと実はたくさんの無駄が生じているんだと思います。

やる気がでないとか、良い考えが浮かばないとか、そういうことも、メンタルじゃなくて、実は健康な身体が解決してくれることがある、というかそこから始めなきゃいけないんじゃないかと思う。自分の性格のせいだ、とか思っていたことが、実は身体の不調のせいだったってこと絶対にたくさんあると思う。

そんなこと含め、この二日間考えたことを書きたいんだけど、すでにもう寝るべき時刻を30分も過ぎているので今日は寝ます。

22時就寝→5時起きを続けよう

昨日は22時に寝てみたら(途中メールで起きましたが)、今朝5時に目が覚めたので、そのまま頑張って起きてみることに。

そうしたら、これが素晴らしい。朝の方がなんでもできる。帰宅後っていろんなものを背負ってきてますからね。それを睡眠でリセットして、まっさらな朝のほうが、やる気が全然違う。今日はサックスの練習もできたし、軽く掃除もできたし、ゴミもまとめて、出勤前にもだいぶ余裕がありました。もう朝5時に起きるしかない。そのためには夜22時に寝たい。今さっそくもうすでに達成できない。。。今日は残業で帰宅が遅くなってしまったので仕方なし。しかも明日から一泊で東京に行くのにまだ準備を何もしていない。でもとにかく目標ができました。毎日22時までに寝る。

これ何ヶ月か前も思って、宣言して、結局できないのはネットに費やす時間が長いからで、でもちょっと引いてみると、ほんとうに別に全部なんか見なくてもいいんだよなあって思う。思うんだけどね。思って絞って、気づいたらまた増えているっていう。なんだろうこれは。でも22時~5時の睡眠で身体のリズムを整えたらきっといらないものが増えてくはず。

さあ、続くのか。

はあちゅうさんの『とにかくウツなOLの、人生を変える1か月』を読ん

自分を振り返っているわけですが、昨日はブックマークを整理したあと、最近の自分の一日の過ごし方を振り返ってみました。

■仕事の日(月・木以外)
6:00 起床
6:00~6:30 着替え・掃除
6:30~7:00 朝食・お弁当作る
7:00~7:30 洗濯(干す&畳む)
7:30~7:45 朝ドラを観る
7:45~8:00 身支度
8:00~8:30 フリー①
8:30~18:00 通勤&仕事
18:00~18:30 フリー②
18:30~19:00 夕食
19:00~19:30 フリー③
19:30~20:00 入浴
20:00~23:00 フリー④
23:00 就寝

無駄なく・残業なく・早出なく過ごすと、最大4時間30分の自由時間があります。今①~③が潰れる確率50%くらいかな。仕事を頑張って15分でも早く帰ることを心がけよう。でも最終的に22時に寝たい・・・そうしたら5時起きにしよう。

最近は朝起きれなくて、本来確保できる30分を潰しています。これも体質改善をしていけば、時間が確保できる。そうかあ、健康でいられるっていうことは、自由な時間を生み出すことにも繋がるんだな。

実際4時間半を確保するとして、したいこと。

ネットを見る⇒1時間30分
ブログを書く⇒1時間
読書⇒45分
運動など⇒30分
楽器の練習⇒30分
仕事の振り返り⇒15分

改めて振り返っただけで、すでにもうネットそんなに見なくてもいいかーという気になってきました。そんなに見たいことは無いのかも。1時間でもいいか。進んで読みたい!と思う本はたくさんあるので、読書の方を大事にしようかな。あと、仕事のことは家で一切忘れようと思っていたのだけれど、15分振り返ることで翌日のパフォーマンスが良い気がするので、毎日振り返ろう。そして早く帰ろう。アプリのto doリストも利用しよう。早く帰ろう。笑

今日実際この通りになるかな、と思ってやってみて、全然ならないんだけれど(笑)、時間は意識するようになって、気持ちがだいぶ違う。ネット閲覧はさっさと切り上げられます。

これに加え、休日の過ごし方も考えていこう。

月・木は、19:30~22:30が、移動も含めて吹奏楽の練習なんだけれど、この時間を週二回とれているってなかなかの贅沢だな。時間=お金と考えると、収入はかなり低いけれど、いろんな面から見たら悪くない生活なのかもなー。

仕事も趣味も近所で完結しているという。お金持ちのひとが移住したいとたくさんやってくる、時には人口ぐらいの単位で観光客がやってくる、全国で見れば物凄くマイナーな観光地なのに、海外からもたくさんの人がやってくる(本当にすごいなって思う。富士山とかなら分かるけど。)、そんな場所に住んでいることを、そしてそういう素晴らしい自然環境があるということのありがたみは、本当にごく最近まで分からなかったのだけれど、10代・20代の頃は「東京が実家の人ってほんとにいいよなー」ってずっと思っていたけれど、あれ、私も悪くないんじゃない?って本当に最近気づいたのです。

今ここに生きてできることを、もっともっと追求していこう。

【時間の使い方】SNSの精査

昨日の夜から頭痛がしていて、今日は日中どんどん酷くなっていきました。肩凝りのせいなんだけれど、姿勢が悪い+PCのしすぎで目が疲れているのかなあとも。

情報の取捨選択ってことは、ずっと考えているのですけれど・・・・なかなか難しい!知りたいことも読みたいものも、たくさんあるしなあ。。。つい、インターネットをだらだら見てしまうのだけれど、もうネットはやらない!ってのも違うしなあ。でも時間は有限なので、やっぱり時間を決めて、優先順位をつけなくては。そうしたら、他のことにかける時間も考えなくては。やはり一日のスケジュールを見直そう。もう、これも何度も何度もやっていることなんですけれど。

でも、自分がいろんなものを吸収して考え方が変わるにつれて、時間をかけたいものごとも随時変わっていくから、一日のスケジュールがどんどん変わっていくのは当然のことなんですけれどね。

とりあえずネットを閲覧する時間を1.5時間にしてみようと。やっていくと絶対に見たいサイトが絞られていくはず。

あとFacebookもtwitterもインスタもnoteもやっていると、同じ人をフォローしていて同じ情報とかリンクを何度も見ているので、リンクはどこか一箇所で見られたらいいよな、とか。

後で読む、と思って保存しているブックマークも結局ずっと見ていないものがずっと表示されているのもなんだか美しくないので整理しよう、とか。

これもねー、悩むのですけれど、これだけSNSを見ていたら、興味があることは本当にたくさんあって、後で読みたいって思うこともたくさん出てくるのですけれど、でも、絶っっ対に忘れたくないって思ったことは絶対に忘れない工夫をするか、何が何でもその場で読むもんね。だから、時間が経ったものは削除してしまおう。自分に必要だったらたぶん高い確率でまたそのリンクに出会えるはずなんで。買おうと思ったものも、「もう一度出会ったら買おう」と思うとか。

そうやってでも残した少ないリンクを見ると、自分の本当に好きなものって、やっぱりこれだよなーって思えたりするし。

はあちゅう『とにかくウツなOLの、人生を変える1か月』

今日ふと、あ、今この本を読まなければ!という思いでクリックしました。やっぱり電子書籍はこのタイミングを逃さないのがいい。紙の本も好きなのですが。

私は元々はあちゅうさんが好きで、noteも購読していますが、この本を読んで、本当にすごい人だなあと思いました。自分がカウンセリングを受けているようでした。

内容は、仕事に疲れきった女性向けウェブメディア編集長の女性が、カウンセリングを受けてどんどん変化していくという、簡単にまとめてしまうとそんな話なのですが、これが自己啓発本として教えを説いてるわけじゃなく、小説なのがいいですよね。臨場感がある。そもそも主人公の設定が世間一般からして憧れの対象だろう、と最初の数ページで思うんだけれど、どんな状況の人でもあてはまる部分が絶対にたくさんあるし、実際華やかそうな仕事をしている人でも、同じようなことを悩んでいたりするんだなーって思うと、この本にあるように、全ては自分で選んできたことだし、ここにある全ての言葉が素直に自分の中に落ちるのを感じます。

今この瞬間から実践してみたいことがたくさんありました。すでに実践していて、あ、自分は間違っていないぞ、とも思ったし、自分の素直になれない部分をやっぱりみつけて、ちょっと苦しかったりもする。今もう一度読み返しています。私もここにあることを一ヶ月考えてみよう。行動してみよう。また一ヶ月後、6月頭に変わった様子を綴れるように!

男性が読んでも絶対面白いと思います。

かさこ塾に参加してから1年

ちょうど一年前に「かさこ塾」に参加したときは、ぼんやり「いつか好きなことを仕事にしたいな~」という気持ちでいて、とりあえずこのブログを始め、まあいろんな出会いもあり、私は一年前6期生だったのだけれど、気づいたらもう20何期生が卒業していて、実際本当に面白い人や会ってみたいと思う人や、もう普通に結構有名なんじゃないかっていう人とかたくさんいて、すごいなーって思いながらFacebookとか、かさこさんのブログを読んでいる。

かさこさんとは、カメライター(カメラマン&ライター)で、「好きを仕事に」をコンセプトにした講座を全国各地で開催していらっしゃる多才な方です。


で、私がこの一年間何をしてたかっつーと、とりあえずブログを続けて書いてみたわけです。毎日は書いていないけれど、一日一記事のペースは90~95%くらいで守られていたと思う。ブログをやっていてよかったのは、全然知らなかった人にもここを読んでもらえたりすること。そして、これまで知らなかったけど絶対に好きだ!と思う人をたくさん知ることができたこと。そして「そこそこ好き」なことに関して毎日書くということはできないとわかったこと。あと、自分のことは書けば書くほど分からないと気づいたこと。

www.ikedahayato.com

そう、この記事にあるように、「好き」もつきつめないと意味が無いのですよね。

イケハヤさんが優しいなあと思うのは、つきつめて好きになれない時点で、それは本当に好きなことじゃないんだから、好きなことを仕事にするなんて考え方はやめて、好きじゃない仕事で地道に生活すれば、と言わないところだなあと思って。

まあそれはべつに優しさじゃなく、本当に推奨しないということをよく仰っていますが。

ここまでを踏まえて、もう一年の間に・・・と言いたいところだけれど、もうそんな猶予もないなあと思って。そうですね、3か月の間に、8月が終わるまでに、今自分の中にある「そこそこ好きなこと」を全部つきつめてみよう。そして、ここから先にもっと進みたいと思うことを見つけよう。

ぼんやり働きながら、そこそこ好きを巡回しながら、まあまあ楽しいとか言いながら、平気でまた一年過ごしそうだけれど、そんなふうに生きたいんじゃあないんだよね。

健康のために柔らかいベッドをやめる

カイロの先生に、ベッドはよくない(柔らかい寝床は骨によくない)と言われてから、昔使っていた敷布団(も柔らかいからベストじゃないんだけどね)を床に敷いて寝ていました。ベッドがあるのに、です。

まず、マットレスは隣の空いている部屋に移動したものの、日中はベッドの上に布団を上げ、寝るときには下ろして床で寝るという日々を数ヶ月送っていました。とりあえずベッドを分解すればいいのですけれど、「次の休みにやろう」と思いながら、気づいたら余裕で数ヶ月過ぎていました。

そして、今日は出勤が一時間遅いという、一年の間でゴールデンウィークとお盆の間に数日あるかどうか、という珍しい日だったのですが、何故か朝起きたらベッドを解体したくなり、その一時間でやりました。ほんとうに、なんでもっと余裕のあるときにやる気にならないんだろう。それは謎なんですが、今日はとても天気が良くて春の風がさわやかで、ベッドを解体してあらゆる誇りを掃除して床も綺麗に拭いたら、今まで溜まっていた自分の心の澱も取り払われたような気がしました。あああ、やっぱり掃除するっていいなあ。

そう、そしてベッド、私はもう使わなくていいや、と思いました。今回は、身体によくないっていう話を聞いたからだけれど(人それぞれ考え方があっていいと思いますが、私はもう使わないでいたいなと思います。)、それ以前に、まずスペースがもったいない!ベッドを解体したらやっぱり部屋がほんとうに広いなあと思いました。あと、ベッドがあると、もう絶対ホコリが蓄積されてしょっちゅうは掃除できないスペースが生まれるのが避けられない。これがほんとうにストレスだったんですよねえ。。。ベッドの下にもたまるけれど、マットレスと本体の隙間とかさ、宮の部分とか引き出しの部分とか。

物があれば、その大きさの分だけ掃除するところも増えるし、掃除したくてもできない場所すら作り出す!

布団なら畳めるし、ずらして床を拭けるし、もうそれだけだもんね。

布団生活ってどのくらいしてなかったんだろう。たぶん小学校低学年くらいまでで、それ以降はずっとベッドだなあ。一人暮らしの時も大きめのベッドをずっと使っていたけれど、あれは本っっっ当にスペースの無駄だったなあ。。。

さて、まだ部屋は片付けきっていないのですけれど、今気分が乗っているのでどんどん綺麗になっていくことでしょう。こういうのってまとまった時間が無くても、本当にやりたい時が来ると、毎日少しずつやっていけるもんだなあ。

自分をハード面から改善月間。

水分を取るために水筒の大きさを変えた

以前からカイロの先生に、水分は多めにとるように言われていたのですけれど、忘れちゃうんですよねえ。常に水分欲しているわけではないし、お茶がすごく好き、というわけでもないし。

そこで、普段使っている水筒(ステンレスマグ?)のサイズを変えてみたんです。300mlから500mlへ!

そうしたら大分飲めるようになりました。会社へ行くときも、自分の部屋にいるときもこのマグを使うようになりました。そうそう、容量少ないとすぐなくなっちゃうけど、階下へ再びお湯を追加しに行くの面倒だもんね。

近々自分の部屋用にも電気ケトルを買おうかな、とも思っているのですが。

飲むものは基本あたたかいお茶なのですが、ティーバックの種類を増やして、紅茶も二種類、あとは、ルイボスティー・ローズヒップティー・ふつうの緑茶があります。こんど出かけたらもっといろいろ揃えようと思います。

そう、このあいだ満喫に長居したときに、そこはドリンクバーのお茶系が物凄く充実していたので、そっかー自分ちもこういうふうにすれば何杯でも飲めるなあと思って。
 
水分をたくさん摂る効能として、老廃物を尿で排出しやすい(水分が少ないと排出する尿に老廃物が溶けきらない)とか、むくみ防止、便秘防止なんかがあると言われて飲んでいたんですが、なんと、間食したい欲求が全然なくなったんですねー。うん、お腹が満たされているしね。

今日は一日家いたのですが、この効果はすごいなと思いました!

お腹が空いていないからというのもあるんだけれど、、、うん、なんか明らかに身体に悪そうなものとか、摂取したい欲が減退するんです。なんでですかね。

ついでに自分でマッサージとかもしたくなっちゃいます。老廃物でていけーという気になります。

これはなかなか効果が期待できそうな気がするので、経過を観察します。

健康法みたいなものは、本当にひとそれぞれなんで、一概に何がいいとは言えませんが、自分に合ったものを探すのは大事ですね。

以前「朝はスムージーのみ」がよいという記事を読んで、半年くらい毎日飲んでいましたが、私の身体には合わなかったようです。もしや、今の体質が悪すぎて合わなかったけれど、解消されたら合うってこともあるかもしれませんが。

最近は落ち込むこともいろいろありましたが、やっぱり身体が健康に向かっていると気持ちも前向きになりますね。すこしずつ、自分のスタイルを確立していこう。

『嫌われる勇気』に出てくる「怒りとは出し入れ可能な道具」という言葉の重要さ

新しい仕事を始めて慣れない中、怒鳴り散らされるっていうシーンは軽くトラウマを呼び起こしますね。見ているだけでお腹痛くなれます。

誰かに何かを習得させるにあたり、(それだけじゃなく、生きていく上で)いかりって本当に無駄な感情だなあって思います。(よく言いますが。)

大ベストセラーの『嫌われる勇気』の中に「怒りとは出し入れ可能な道具」(・・・だったと思うたしか。)という一節があり、これを読んだときには本当にはっとしました。

なぜ怒鳴ってしまうのかという問に対し、「気持ちが抑えられない」ということは実は理由にならないのです。なぜなら、同じ怒りを感じたとして、それが目上の人とか自分より明らかに強い人とかだったら、同じように発散しないはずだからです。うん、物凄いムカついたとしても、めちゃくちゃ怖そうな人には怒鳴れないですよね。ということは「抑えられない」と言いながら、「怒鳴っても大丈夫な人」を選んで言っているわけです。抑えられないんじゃなくて、意図的に自分の気持ちをぶつけて不快にさせてやろう(もしくは、不快な思いをしても構わない)と思っているわけです。

相手を不快にさせず、でも自分が伝えたいことや伝えるべきことを理解してもらえるよう説明する、という手順を大事にしたいと思いました。自分もムっとするときはたくさんありますからね。

でもやっぱり、いつでも怒鳴っている人とか言葉がきつい人は好きになれないなあ。厳しいときついは違うなあって思う。よく一緒になってるなって思うことあるけれど。

まず、辛辣な言葉というものが、内容の前に人に与えるダメージって絶対加味しなくちゃいけないよなあと思う。内容以前にダメージを与える必要があるのか?あると思っていたらもう、その人と分かり合いたいとはたぶん心からは思っていないんだよね。そこにあるのは従わせたいという気持ちだと思うんです。

分かり合うために必要なのは、対峙していたらやっぱり「説明」だと思うわけで、それをすっ飛ばして怒りたくなったら気を付けよう。怒るっていうのは簡単なことで、それを抑えて説明をするということが、人としてできることだし、自分の成長にもなるなあと思う。他人を見て物凄く不快になるけれど、自分のこともよくよく振り返ろう。自分も十分に不快な人間かも知れないので。

死んでも誰かの心に生き続けるということ。

もし自分が長くない命だと分かって、それがいつなのか知ることができたとする。そう考えたとき、自分の状況と今までの感謝を直接伝えたいと思う人はごくわずかだということに気がついた。それが3日後なのか3か月後なのか3年後なのかによっても、変わらないなあと思った。

以前は、もしそういうことがあれば(以前からよくこういうことを考えていたのだな、笑)、人生でお世話になった人全てに時間の許す限り会いたいと思っていたのだけれど、今はそう思わないのだと分かった。

死んだあとに発見されて恥ずかしいものは処分したい・・・と思ったときに、いや別に死んだあとに自分はもう存在しないから、恥ずかしいとか思う必要もない・・・という考え方の間で、よく分からないなあと思っていたのだけれど、今は分かる。自分という肉体が無くなったとしても、誰かの心の中にある自分像は守りたいということなんだな。そして誰かの心の中の自分像は、より良い自分でもなく、より悪い自分でもなく、「これが私なんだけどなー」と私が思う像でありたい。それを人生が終わるまで、少しずつ少しずつより好きな自分にかえていきたいなーと思って今毎日を生きているんだと思う。

今できていなくてこれからしたいことは、いつでも「100%楽しい」と言えることで、それを目標として生きていくことで、今日の自分より明日の自分が好きだなあと毎日思える気がしている。そうなることで、ひとの心のなかにある自分像も少しずつ変わっていくかなあ。いったらいいなあ。まあいかなくてもいいのだけれど。

とにかくそんな自分像を誰かが覚えていてくれるかぎり、もし永久に会えなくなったとしても、私がいなくなる事実が、むしろ無いほうがいいときもあるよね、と思って。死ぬ前も死んだあとも、何も変わらず誰かの記憶の中に生きている、その私は私が好きな私でありたい。

楽しく生きるを追求していれば、絶対に叶えられる望みだなあと思う。そして、感謝は常に伝え続けていくべきだなあと思いました。最後にまとめて言えなくても後悔しないように。