ココロサードプレイス

日常で考えていることを書いています。

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カメラと自分の目と自然そのもの

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冬、自分の部屋の窓から見える夜明け前の写真をよく撮っていました。この瞬間の美しさが冬ならではというのがあって。今は目が覚める頃にはもう完全に周囲が明るくなっていて、夜明け前の静寂みたいな感じにはかなり早起きしないと出会えないので、まあしばらく撮ることは無いでしょう。

気づいたのが、(まあ、当たり前なんですが)スマホとコンデジの色合いが全然違って。コンデジの方がもちろん鮮明なんだけど、スマホの色合いの方が美しかったりする。でも、自分の目が見ているものはコンデジの方に近いわけで。スマホの方が嘘、というか、、、でも、ここで考えたんです。

本当の色って誰の目にも見えませんよね。

今私の目で見ているものが真実だと思うけれど、人間の目が映しているものだって、飽くまで私の目というカメラが映しているものなわけで。自分の認識の色と自分の知識の中の色を結びつけて、それが何色かを確定しているけれど、例えば、木そのものが何色であるかは木自体しか分からない、というか。私が認識している色は私がそうと脳内で決めた色であって、自然界が放っている「そのもの」は永久に見られない。

そう考えると、確証できるものは何も無い気がしてくる。気が遠くなるのです。だからあらゆる記号や名前や決まりごとをつくって「この認識は共通である」ということにしているけれど、そもそも、一人一人持っているものが全然違うのだもの、ぶつかるわけです。そこにある色すら、本当は何色かなんて、永久に言えないのだから。

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