ココロサードプレイス

日常で考えていることを書いています。

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人生で一番好きな人

人生で一番好きになった人がいて、その人はもうなんていうか、殿堂入りなのである。もう10年ぐらい前の話なので、その10年の間に、私にも10年分のいろいろがあったわけだけれど、意識的に思い出しても思い出さなくてもどれだけ記憶が薄れても、永久にゼロにはならないのである。殿堂入りだから。

2年くらい前までは、結婚したいとか子供が欲しいとかって、それなりに思っていたんだけれど、そして今、そんなに昔じゃないその時の気持ちがあまりよく思い出せないんだけれど、結婚することが、「何も成し遂げていない自分がこの社会で生きていても後ろ指を指されない条件」みたいに思っていたんじゃないかと思う。たぶん。

10代とか20代とか、今風に言うとメンヘラだった自分は、人との距離感とかがおかしくって、恋愛においても物凄くのめり込んだりしながら、人間関係でつまずき続けていた。とても生きにくかった。

そういう自分も、音楽を通じて出会ったたくさんの人に救われて、少しずつ生きやすさみたいなものを習得していった。

生きやすさを習得しながら、「ふつうの人になりたい」と思うようになった。

自分の仕事に自信を持っていて、結婚して子供を生んで幸せに生きる、そういうことに憧れていた気がする。ほんとうに、つい数年前くらいのことなのに、その時の気持ちがあまり思い出せないのだけれど。

そして、生きやすくなったような気がしていたけれど、日々は結構退屈だった。

毎日毎日、いろんな情報を得たら、それに対して思うことを誰かと語り合いたいとかいうことをすごく思っていた。

誰も話す人がいないので、日記を書いたり、東京の友人にに手紙を書いたり電話をしたり、たまに会ったりしていた。

それは「好きなことを誰かと話したい、共有したい」という想いだったと思うんだけれど、それを考えるうちに、そういえば、好きじゃないことをしている時間ってとてつもなく無意味なんじゃないかと思うようになった。絶望的な無意味さだ。

時間をかけて負の気持ちを生み出す行為。それが毎日あって当たり前だと思うことは、私がこの時あこがれていた「ふつうの人になりたい」ということと、私の中では同義になるのだ、と思った。

「好きなことだけをして生きていきたい」

いつしかそれが自分の目標になった。それと同時に、結婚に全く興味が無くなった。

私は結婚をすることで、自分のどうしようもなくつまらない人生を誰かにに変えてもらいたいと思っていたんだと思う。

それを、自分で変えられるんじゃないかと思うようになったその瞬間に、格段に人生が楽しくなった。

私はまだ何も成し遂げていないけれど、人生の目標ができたし、それに向かって何かを発信していくことで、数年前のままの私でいたら、人生で永久に出会わなかったであろう素晴らしく面白い人たちに既にたくさん出会えたし、これからも出会っていくと思う。

ここまできて、まあそれは結構なことですね、と言いたいような話だ。

でも私が今一番書きたかったことは、以下のことで

もしかして、私は無理をしているんじゃないか?と、「一人で好きなことして生きてく、楽しー!」と言っている自分の、無意識はほんとうに大丈夫なんだろうかと、つい最近思うようになった。

本当は、一番解ってほしいと思う人はいる。新しいことを思いついたら、誰よりも先に聞いて欲しい。絶対期待の反応をしてくれるだろう。いや、でももうそれは私の古い記憶の中で再現しているだけで、今は全然違うかも知れない。その人が絶対喜んでくれるだろうなっていうものも分かる。いや、でももうそんな趣味は全然違うのかもしれない。私だけが古い記憶の中で生きている。でも知らないことが10年分積もっていても、昨日も会ったように話せるこんな空気を作れる人にこれから出会える気が、今は一ミリもしない。10年好きだったから、一生とは言えないけれど、あと10年くらい余裕で好きでいられる気がする。そんな気持ちは永久に封じ込めようとして何度も失敗している。勉強が続かないように、運動が続かないように、糖質制限が続かないように、これからも失敗し続けることが容易に推測できる。

そんな気持ちと戦わなくていいように、生きる楽しさを身につけたはずなのに。とても生きやすくなって、毎日を楽しく生きているはずなのになあ。

10年前と違うのは、そんな悲しい気持ちがいつでも一番上に乗っかっていないことである。折に触れて思い出すときに、自分を言いくるめる言葉を知っていることである。

〇〇だったことを△△を使って解決した!

やりたいことを目指して人生が楽しくなった!と思った時から、こんなフレーズをよく使ってきた。実際そういうことが増えてきたから、より楽しい日々を送れるようになった。こうやって積み重ねていくもんだと思っていた。今や解決できないものは無いと思っていた。

そんな時に今、けっこうつまづいているのである。こんなことで立ち止まっている場合じゃないんだけど、と思う。

でもいつだって、自分の論理で解決できない何かが登場して、それと戦ったり上手くつきあったりしながら生きてきて、今後悔していることは何も無いのだから、またおんなじ事を繰り返しながら、生きていくしかないんだろうなと思う。

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