ココロサードプレイス

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3月11日に思うこと

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私が東日本大震災の後に思ったことは、何も持っていないと思っていた自分はすごく恵まれていているんだなということと、毎月収入の1%を募金しようということ。何が正しいのかを少しでも理解するために、もっと政治に関心を持とうということ。

 

震災から7年経って今思うことは、自分が恵まれているということはしょっちゅう忘れるということ。

自分の悩みが大事だし、全力で解決したいと思うし、そうやっていろいろ打開してきたと思う。自分で、自分のために。

そして今は、恵まれていることを一時たりとも忘れてはならない
・・・ということでもないかなあとも思う。まあ、折に触れて思い起こせばいいんじゃないかなあと思う。

そうやって生きている自分に、精神的余力があるということが、今すごく大事な気がしている。

 

「誰かを救いたい」ということを以前言っていたと思う。今は思い上がりだったなあと思っている。私にはそんな力はないなあと思う。

でも、今自分が元気でやりたいことをやりながら生きるということが、誰かが救われることの、すごく手前のちいさな一助になるかもしれないとは思っていて、そのために自分は元気でいたいと思っている。精神的余力を常に残しておきたいと思っている。

 

募金はもう「必ず1%以上しよう」とかわざわざ思うものでもなくなったし、一般的にも募金の文化・・・という言い方は違うかもしれないけれど、「自分がほしい物や事を買う」以外のお金の使い方をする人や機会は、ものすごく増えたと思う。

募金とはちょっと違うけど、クラウドファンディングも、自分ではない誰かが志す何かのために使って欲しいと思ってお金を出す人は、自分のまわりにもほんとうにたくさんいる。これはやっぱり文化がつくられていく瞬間のような気がしている。

 

一時期、仙台と南三陸町にけっこう行っていたのだけれど、もう丸2年行っていない。自分の中でいろいろあったこの2年、思い返せばたぶん自分のことばかり考えていたこの2年、そうやって生きてきたけれど、やっと心に余裕のできた今、ただ、元気でいようと思っている。

ただ元気でいるってけっこう難しいことなんじゃないかと思う。すごく尊いと思う。ずっとできなかったことだから。

 

あれしてない、これしてない、何ができていない、今も毎日思う。でも今確実に元気。

そういう自分が生きていく上で、誰かを救えたりはしないだろうけど、そのすごく手前のちいさな何かになれたらいいなと思うことが、自分の元気をも継続できる。恵まれていることを、折に触れて思い出せる。

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また会いに行きます。