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毎日が好き

好きなことだけしかしない日々を目指して。

生き方

生き方・日常・社会問題

働きやすい環境
ここ二週間、休みの日は全部出かけていて、東京にも2回行ったのだけれど両方仕事終わってから前のりしたり、あと平日の夜マスヤバーに行ったり、だから、書きたいことがどんどん溜まっていくんだけど書く時間が全然なかった。というか夜は全然やる気が出ない。休みの日の朝は物凄いやる気に満ち満ちているので、物凄い朝方にした方が生産性が高いんじゃないかなあと思う。勿体無いことをしている。今の仕事を辞めるとしたら、自分の生産性×時間帯MAXを測って大事にしたいと思う。あとは環境も大事だ。机とか椅子とか部屋に置くものとか香りとか温度とかそういうのも大事にしたい。飲み物とか食べ物とかいつ飲むとか食べるとかそういうことも絶対大事で、気分転換したいときに好きな方法で気分転換するっていうのもすごい大事で、そういうことの自由度が低ければ低いほど生産性に関わってくるのだ、やっぱり。自由度が低いことを「自由度が低い」なんて思わず「当たり前すぎること」ととらえていることは、結構勿体無いことをしているんじゃないかと思う。

この二週間していたこと
吹奏楽の練習、仕事後武蔵小金井の友達が働いている飲み屋へ行く、漫喫に泊まる、相模原のカイロへ、Zepp Tokyoでsyrup16gを観る、浅草でゲストハウスのイベントに参加した方々と飲み、赤羽橋のザブトンに泊まる、インナーチャイルドセラピーを受ける、吹奏楽の練習、仕事、吹奏楽の本番前日リハーサル、吹奏楽のクリスマスコンサート本番、夜は甲斐市のカフェで中西ヒロキさんとPalette Gardenのライブを観る、仕事、マスヤバーでブロガーの方々と飲み、仕事、仕事後渋谷LUSHにAndareのライブを観に行く、飲み、甲府のJewels&Thingsへ頼んでたパーカーを取りに行く、ジュエリーミュージアムへ行く、仕事、友達の家でクリスマス的ごはん会、三連休仕事中。書きたいことありすぎるけど全然書けてない。辛うじて父母の年賀状を完成させた。仕事一つ減った。

得意不得意
先日Twitterで、「請求書を作成して期日までに投函するということがどうしようもなく難しい人間がいるのだ」的な(うろ覚え、だいたい。)ツイートを目にして、本当にそうなんだよなーと思う。労力・かける時間だけじゃなくて、単純な作業を期日までに忘れずやり遂げる、ということの難しさはあるのだ。私は、絶対できないというわけじゃあないけれど、もし自分が「こんな簡単なことが!」という言葉を発するとして、その中の「こんな」の内容が、かかる時間が短いことや、作業がいかに単純であるかということに起因するなら、ちょっと考え直そうと思う。自分にもそういう部分は絶対にある。

好きとは何か
10年くらい前、人生で一番ライブハウスとバンドにはまっていて、主にライブのことだけを考えて、主にライブだけにお金を使い、行きたいライブに行くということが生活の中で最も重要であると思って生きていた。その頃に思っていたバンドが「好き」と、今のバンドが「好き」というのはやっぱりちょっと違っていて、「熱量」というようなものがあるとしたら、それは、10年前よりは少ないのかもしれない。けど、自分が生きてきたこの10年の間に、自分が見て・感じて・思って・行動して・失敗して・成長して・また新たに出会って・広がって・感じて・思って・行動して・失敗してということを繰り返して今ある自分の「好き」が、私は好きなんだ。自分の「好き」を信じているし、自分の「好き」に支えられている。その「好き」はこれなんだと言いたい。

お父さん
私が好む有名人やらいろんな人がこぞって崇め奉っている人を、父にも知って欲しくてあるメディアを見せた時に父が発した一言「これはそんなにすごいことなのか?」に、言われてみればそうだよなーと思う。この瞬間まで私は全くそんなこと思わなかったけれど、一理あるなあと思う。父はインターネットとか一切やらない。私が同じ毎日を繰り返していく中で、下手をすると永久に出会わなかったであろう一言をこんなに身近な人に言われて、しかも一理あるなあと自分が納得するなんて思いもよらなかった。もしかしてこの人はすごいんじゃないかと思った。

道の話し
気づいたら10年前と同じ笑顔があって、会えなくなった人もいるけど、というかそっちの方が大半だけれど、自分もあちこち歩いてきたからだけれど、私はそっち側に行きたいんだという思いがベースにあって、ずっと私を生かしているのだ。自分の足で立って歩きたいのだ。永久に追いつけなくても、並行した道を歩くのは嫌なのだ。

再就職