ココロサードプレイス

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カメラマン西槇太一さんの写真

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私が22~24歳くらいかな?まだ大学生だったか、卒業したばかりか、その頃ものすごく好きなギタリストの人がいました。

私がその人を好きになり始めてわりとすぐ、そのバンドは解散してしまったんだけれど、もうほんとうにそのバンド自体も歌もギターもパフォーマンスも全てかっこよくて、私はもうとにかくその人がとても好きになって、その人はその後も新しいバンドでたまーにライブをやったりしながら、他にもいろいろな形で仕事として音楽に関わっていました。

私はその人がたまーにやるライブに一人で行って、ほぼ身内だけしかいなかった深夜イベントにも一人で行ったりして・・・そう、その頃法律が改正されて、夜22時以降にライブハウスやクラブに入る時には写真付き身分証が必要になったんですよね。当時私は車の免許を持っていなかったので、私はその時深夜イベントに行きたいがために原付の免許を取得しました。(まあこれは後々役にたちましたが。)

その人の誕生日に、「これはきっと気に入ってもらえる!!」というものを見つけて渡せたのだけれど、実際喜んでもらえて、使った感想まで言ってもらえて本当に嬉しかったのをよく覚えています。

とにかく好きすぎて、今振り返るとだいぶ痛いファンでした。(ごめんなさい!!)

だけどその人は、だいぶ痛いファンだった私にも大人の対応をして下さった、とても優しい人でした。


その人は当時、趣味で写真を撮っていて、それをブログで公開していました。

元々その人の音楽が、その人自身が大好きだったんだけれど、そして私はその時まで写真ってあまり興味が無かったんだけれど、私はその人の写真を見て初めて

「ああ、写真ってすごいんだなあ!!」って思ったんですね。

自分の感性の、今まで使ったことないところが動いた気がしました。優しい、時に激しい、でもおしつけがましくない、ちょっと切ない・・・そんな写真からいろんな気持ちが湧き上がりました。


それはたぶん10年くらい前の話で、それからまた時は経ち、私は山梨に帰ってきてからその方が何をしているのかっていうことは全然知らずに過ごしていました。


先日twitterで、今その方がカメラマンとして仕事をしていていることを知りました。(しかも撮っている人がすごい。。。。)

taichinishimaki.com


私はこの方、西槇太一さんの写真を見て、いつもどこかにノスタルジーを感じていたのでした。

私は日常生活の中で、ふと「帰りたい」と思う時があるんです。一人暮らしをしていた時なら分かるんだけれど、今は実家に住んでいるし、生まれ育った町は所々形を変えつつも、家はこの先も大きく変貌することは無いであろう、自然が守られている場所にあって、でも時々どうしようもなく心に浮かぶ「帰りたい」は、どうしても説明ができないんです。ずっと前から。幼い頃から。

でもこの写真を見ていると、ああ、この空気なんだよなあって思うんです。

被写体がなんであるかということじゃなく、そこに浮かんでいる空気と、私の実体のない郷愁が重なって、結局説明はできないんだけれど、「ああ、忘れていたけどこんな形だった・・・」と思って、落ち着くんです。

10年前はあまり写真に興味が無かったけれど、今は周りに趣味でやっている人、仕事にしている人もたくさんいるし、いいなあ、すばらしいなあと思う写真もたくさん見てきました。

でも、「いいなあ」の一歩前に心の説明できない部分が動くのは、この方の写真だなあと思いました。特に、お子さんの写真にぐっとくる。

ああ、思い出した!思い出した!これだった・・・・、という、とても不思議で暖かい気持ちになりました。

こうやってまた思い出せる、改めて出会えるって、やっぱりインターネットもいいなあって思います。

今日思ったことも、10年後にまた振り返ったりするんだろうか。