坂爪圭吾さんの言葉「まずは自分を救え」から始まる。
今夜20時頃から、70万時間テレビ「まずは自分を救え」を開幕致します。いばや関係者の皆様、宜しくお願いします!!
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年8月27日
70万時間テレビ「まずは自分を救え」https://t.co/Uc0wpQEGI5
70万時間テレビ前夜告知動画https://t.co/s6NhK8xZUa
20代まで悩みが尽きなかった自分が、今とても楽に生きていられるのは自分に自信が持てるようになったからで、そうなった瞬間に悩みは全て解決したも同然になった。
もちろん今でも、考えていたり解決策が思いつかないこともあるけれど、その全てにおいて「いつかどうにかなる」と思える。常にそのことが頭から離れず何をしていても辛いということはない。
逆を言うと、以前は、常にそのことが頭から離れず何をしていても辛いという生活が長らく続いていた。
当時は誰かが・何かが自分を変えてくれるものだと思っていた。今出せていない自分の力が引き出される時が来ると思っていた。人に対しても、この人といれば自分が変われるという観点でこの人といたいと思っていた。
そんな人とは一緒にいたくない。
そんな自分が誰かにできることは何もない。
では、今でも特に何を成し遂げたわけでもない自分が、自信を持てるようになったきっかけはというと、自分を大きく見積もるのをやめたことである。
それは「自分は何も力を持っていない」と認めるということだ。
本来「自分に自信がない」=「自分には何の力もないと思っている」という構図である気がするが、これは逆であると思う。
自信の無さというものは、「元々力を持っているのに出せてないという幻想」に起因すると私は思っている。
「自分は、本当は何も持っていなかったんだな」と思えたら、 私が"持っているけど今出せてない"ものは何もない。今の自分が全てなのだ。
探すべきは、どこかに眠っているはずの自分の力じゃなくて、何もないところから力を作り出すきっかけである。
そのことに気づいたらやっと、当たり前すぎるようなこと・・・”自分で考えて選択して歩くこと”が始められたのである。逆の言い方をすると、以前はそんなことができていなかった。
以前は、誰かに気に入られるためにとか、好かれるために、が行動の一番最初にきていた。それは自分で何も考えていないも同然である。
そして今は、何かをするにあたり「自分が楽しいかどうか」だけを考えている。楽しくないことは全部はじく、とは言えないけれど(本当はそうしたいし、それを目指している。)、少なくとも、自分がどう感じるかということを一番最初に大事にしている。
そうやって生きることは、多くの人から気に入られようとして生きることの100倍くらい楽しいし重要だ。
そう、今楽しいと言えることが自信の全てである。
学歴や財産や知名度や容姿や、才能と言われるようなものが人より高い・・・という他者からの評価をたくさん持っていることよりも、今単純にこの瞬間、自分が楽しいと言えることが、今の自分の自信なのである。
自分は、自信を持てるようになって初めて、本当の意味で他人を思いやれるようになったと思う。
そう、それが「まずは自分を救って」から始められたことなのだ。
自信の話が長くなってしまったので、その話はまた別の時に。